天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

鷹8月号小川軽舟を読む

2024-08-01 04:44:50 | 俳句
 
姿見の池


小川軽舟鷹主宰が鷹8月号に「晴間」と題して発表した12句。これを天地わたると山野月読が合評する。天地が ●、山野が〇。

押せ押せの水に巌や山つつじ 
●渓流を描いています。「押せ押せ」なる今やかなり俗な表現が当を得ています。 
〇「押せ押せの水」ということで、豊かな水量や勢いを感じさせます。それゆえ、その後の「巌」の受けが効果的です。 
●湘子が提唱した型その2を巧みにこなしています。中七のしまいが「巌や」で盤石にしてポンと置かれた「山つつじ」が決まります。俗に転びそうな言葉を逆手に取る、という芸で個性ある風景句に仕立てました。

どの樹にも智慧が若葉の形なす
●森や山でいろいろな木のさまざまな葉を見て緑はいいなあと思います。葉の違いに作者なりに切り込んでいます。 
〇ひとつひとつが事なる「若葉の形」として捉えると、この「智慧」とは神の恣意的なデザインともとれますし、一方で、それが「若葉」であると認識できる程度の共通性を有しているという意味では自然の摂理を「智慧」と称したとも言えそうです。先日のネット句会で私の句についてわたるさんから「観念的だ」と指摘を受けたばかりですが、本句について私が感じた上記のようなことだとしたら、あまり面白いとは思えませんでした。 
●知的な句です。作者は、知・情・意のバランスのとれた才能の持ち主でこれは知の働いた句です。「知に働けば角が立つ」と言われるように特に俳句において知が先行すると観念的になって失敗することが多いです。けれど、この句は実感の裏付けがあって納得しました。 

青春は明治に如かず透谷忌 
●北村透谷(きたむら とうこく)は評論家・詩人。1868年12月29日〈明治元年11月16日〉~ 1894年〈明治27年〉5月16日)。青春は明治時代の真っ只中でした。 
〇透谷が活躍した「明治」ならではの熱気には「青春」の熱気も及ばないというようなことですよね。こうした熱量を感じさせて、それは「透谷忌」と響き合うと思いました。
●昭和生まれの小生は明治への憧れがあります。平成、令和など嚙んで味の失せたチューインガムのように感じます。時代が違うから仕方ないのですが若者に熱量が乏しいと感じてなりません。 作者にも明治への憧憬がありますね。 

ぼうたんや南蛮船に人買ひも 
●「南蛮船に人買ひも」は時代小説を読む味わいです。季語が牡丹だと日本の娘がかどわかしに遭った風情です。 
〇「南蛮船に人買ひも」という言い方は、書物で読み知った史実というよりも、もっと視覚的に捉えた景の感じがしますね。 
●はい、むろん見える内容です。

画眉鳥は望郷うたふ南風 
●原産地は中国南部から東南アジア北部にかけてとのこと。1970年代の野鳥ブームで日本に来たものの鳴き声が大きいということでそうとう野に放たれということです。 
〇原産地が東南アジアだとすれば、そうした背景を踏まえての「南風」なんでしょうね。「画眉鳥」というのは鳴き声も大きく、特徴的なようですし、そういう意味では「うたふ」と展開するのも納得です。

人生のいま晴間らし柿の花 
●6月29日鷹創立60周年記念大会を2代目主宰として盛大に催しました。主宰にとって今まさに我が世の春ですよ。 
〇確かにそうした我が世の春を言いつつも、「晴間」には時の移ろいや一過性的なニュアンスを感じますし、何よりもそう目立つ花ではなさそうな「柿の花」としたところがいかにも作者らしいのでは。 
●「晴間」は雲が出て雨が降ることがあるかもしれぬ先を予期しています。おまけに「晴間らし」ととぼけています。そこが作者の奥ゆかしいところ。桜や薔薇でない地味な「柿の花」を置いたところも俳諧味があります。 成功に喝采を上げずおどけて見せたのが作者の品格です。 

蛍火や数珠ひと擦りになもあみだ 
●おもしろい句です。数珠を持って蛍狩に来たのでしょうか。それとも僧が本堂でおつとめをしていて戸外の蛍を感じているのか。 
〇少なくとも蛍狩ではないでしょう。「数珠ひと擦りになもあみだ」というのは、何とも念の入った感じで、これ以上の想いはないのではと感じられます。「蛍火」が精霊流しの灯のような味わいです。 
●やはり蛍狩ではないでしょうね。「数珠ひと擦りになもあみだ」は味があります。

髪黒き遺影一郎梅雨に死す 
●6月21日に亡くなった月光集作家、竹岡一郎を悼んでいます。 享年60とか。
〇直接は存じあげませんが、前にわたるさんが本ブログで紹介してくれた竹岡一郎さんの「蒼白の股が挾める金魚鉢」という句が印象に残っています。ご冥福をお祈りします。 
●よくその句を覚えていましたね。主宰は「秀句の風景」で、「電灯の紐の揺れやむ透谷忌 竹岡一郎」を取り上げ、「不条理に満ちた作品も硬質の詩情でしたたかにまとめあげるしたたかな俳人だった。どれほど惜しんでも惜しみきれない。」と、弔意を示しています。小生の一番好きな句は「サンバに乳ゆれて難波(なんば)や文化の日 一郎」です。
〇本句は、お通夜の際の句かなと思うのですが、そうするとひとつ前の「蛍火や数珠ひと擦りになもあみだ」も同じときに詠んだ句でしょうかね。 
●そうかもしれません。

母優しはじめてメロン食ふわれに 
●母を慕う句です。はじめてメロンを食べたのは1歳か2歳か。甘いんですがメロンに優しはぴったりです。 
〇本句中の「われ」なる作者は1・2歳というよりももっと物心のついた年齢のように思いました。そうしたシチュエーションの方が「母優し」が味わい深いのでは。 
●4,5歳のころですか。そのほうがいいかもしれませんね。

蚊帳に入る母を薄目で見てゐたり 
●これも母を慕う句です。前の句が完全に母子ものだったのに対し、ここには母を女と見る目がありませんか。 
〇確かに母性としてではなく女性としての「母」を感じさせます。「薄目」であることもその要因なのですが、「蚊帳に入る母」という捉えが、この「蚊帳」には作者がいる感じがしないこともあると思います。 
●蚊帳の中に作者はいませんね。問題は父がいるかですが、いるとみておもしろい句でしょうね。

草笛はくすぐつたいと音になる 
●得意の擬人化です。草笛がくすぐったいと(言って)音になる、と読みました。 
〇つまり原因・契機としての「くすぐつたい」ではないという読みですね。私もそうだと思います。
この句は擬人的捉えも凄いのですが、それ以上に最後の「音になる」に意表をつかれました。上五中七までを着想できたとして、普通なら「音を出す」とかにしそうじゃないですか。そうではなく「音になる」というのは、楽器・媒体であるはずの「草笛」が「音」そのものに変わるという捉えであり、痺れるほどの感性です。 
●おもしろい草笛の一物です。

蠅震へ船のエンジンかかりけり 
●蠅は船縁にいるかな。船外機のエンジンをかけたのでしょう。 
〇港から船が出るときでしょうね。それも「蠅震へ」ですから、さして大きな船ではなく小さな漁船、そして古くからあるような漁港のイメージです。「エンジンかかり」そして「蠅震へ」たという語順・道理ではない面白さ。 
●着眼がいいです。上五が氷山の一角みたいな構図です。

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