高校野球もネット句会も終わりぼーっとしていた昨日、歌王Xからカラオケに誘われていたことをはたと思い出した。
Xは貪欲で俺の新しい歌を聞きたがる。新しいといっても昭和40~60年の歌謡曲であるが、とにかくまだXの前で歌ってない歌である。
ユーチューブを出したら藤圭子が出た。
「京都から博多まで」を聞くとなかなかいい。藤圭子はドスの効いた歌もいいがルックスも優れていることを再認識した。
怖さを感じるほどの漆黒の髪、大きい目の瞳も漆黒。正面から見られたら変になりそうな力がある。内裏雛の趣がある美形、見るものを畏怖させる力がある。冷酷な美にひかれてしまい、歌も次々聴く。
ほかの人の歌をカバーしたのも味がある。
新宿の女
湖愁
奥飛騨慕情
哀愁の街に霧が降る
君恋し
すきま風
無法松の一生
別れの一本杉
琵琶湖周航の歌
夢追い酒
長崎は今日も雨だった
矢切の渡し
南国土佐を後にして
このへんで彼女がいつ死んだか調べたら、2013年8月22日であった。ほぼ藤圭子の命日に彼女の歌にのめりこんでいた。なんという奇遇。藤圭子とぼくは同じ年。彼女がデビューしたとき過去の暗さ、身の上の不遇をさらけ出して歌う雰囲気になじめなかった。ぼくは健康であった。湖愁
奥飛騨慕情
哀愁の街に霧が降る
君恋し
すきま風
無法松の一生
別れの一本杉
琵琶湖周航の歌
夢追い酒
長崎は今日も雨だった
矢切の渡し
南国土佐を後にして
けれど今67歳になって20~30代の彼女を見て聴いていると揺さぶられるものがある。冷たい湖に引きずりこまれるような雰囲気は超俗で傑出している。
いままでのユーチューブに登場する藤圭子は静止画だったのに次の2曲は動画であった。
乱れ髪
岸壁の母
岸壁の母
特に、乱れ髪を歌う藤圭子は表情が豊かで目がくるくる動き笑いがこぼれる。こんな藤圭子を見たのははじめて。それが死んでから5年後とは……。新鮮であった。
「京都から博多まで」、「哀愁の街に霧が降る」、「南国土佐を後にして」はまだXの前で歌ったことがないから歌うことにする。
意外だったのは、克美しげるの「さすらい」までカバーしていたこと!
これをぼくがXの前で歌うと「40曲聴いたなかで一番。きみの十八番!」とお墨付きをもらった曲なのだ。
はたして藤圭子の「さすらい」は情念を引きずりすぎていた。これじゃあ、さすらえないよ、と思った。「さすらい」はバケツを蹴って荒野を突き進むような無頼感を出すべし。
藤圭子の情念こってりの「さすらい」は笑えた。それが彼女への供養かと思った。
娘、宇多田ヒカルへ遺伝子は引き継がれた
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます