
ヨミトモF子から「今日、徹子の部屋に小池真理子が出る」というメールがきた。
F子は恋愛小説が好きでぼくの知らないものまでよく読んでいるが、
「わたしはブスの女性作家のものは読まない」と言い切る。
理由は顔のよくない女はもてない、もてないとそうなりたいことばかり書く、けれど経験の裏打ちがないと嘘っぽいのよ、ということである。
その点、小池真理子は美形だから掃いて捨てるほど恋はしたはず、むろん夫以外にも、だから内容が深くて鋭いのよ、と主張する。
100%賛成しないが70%はのんでいい。
小池真理子の『沈黙のひと』(2013年吉川英治文学賞受賞)の創作のきっかけは、施設で命をまっとうした彼女の父の遺品のダンボール箱の中から「性具」が出てきたことであるという。
父はパーキンソン病のため言葉が出ないし手足を動かすのも不自由。それなのに見守るための監視カメラのついた部屋のなかで密かに裏ビデオを観賞していたのだ。
これを見て作家はよかったと思い涙ぐんだという。
エロスに向かい生を充実させようとする人の根源的な営為に打たれたのであった。
ぼくは中学生のころ母が読む『主婦の友』の折り込み企画を読みたくてたまらなかった。ピンクや黄色で少し小さい判型で挿入されている袋もの。中身は性の情報に満ちていた。
母が鋏を使わず指で急いで破るようにして開けたさまを見ると、ああ母は女なんだとうれしくなったものだ。父とこれを読んでどんなことをするのだろうかということも考えたものである。
世の中にこのような事例は多々ある。
ぼくのつとめるアパートの非整理ゴミ袋を開けていてアダルトグッズに遭遇したのは4年で10回以上になる。
アダルトグッズにもいろいろあってビデオでなくてバイブレーターに遭遇したのが5回。うち男性の出したものが3回、女性が出したものが2回と拮抗する。
男性も女性も蔭では皆すけべだなあとおかしくなる。
地層の断面から化石が零れ落ちるのに遭遇するようで、ゴミという生活の断面からこの手の道具に遭遇するとみんなの欲望や健康を寿ぎたくなる。
それなのに句会に出てくるメンバーはなぜかエロス系恋愛系の作品にとんちんかんである。情けない。
先日のひこばえ句会に次の句が出た。
手の甲に受くる唇ゆすらうめ
これを採ったのはぼくを含め男性二人のみ。季語が「ゆすらうめ」であるため食べる手と恋を享受する手とが交錯してしまう。
ぼくは手に持つ季語が恋のイメージを消してしまうから季語はたとえば天文系に飛ばすほうがいいとアドバイスしたら、Hさんが「これって恋なんですか」と驚くではないか。
ぼくはこれに恋を感じないことにびっくりして「いままで恋の三つや四つしてこなかったんですか」といってしまった。
読みが鈍すぎる。
また次の句。
待ちつつも心あやふや糸とんぼ
この句は前の作者と同じ人かと予想したら80歳の女性。いままで彼女のこんな恋のときめきに出遭ったことがなかったので新しい世界を大いに褒めた。
繊細な糸とんぼが前段の心の揺れを支える。水辺で異性を待っている景と見るが妥当だろう。
この句に対しても「恋ですか」という声を聞くと、あなたがたは何が楽しくていままでこの世を生きてきたのですか、と問いたくなってしまう。
小池真理子の作品をいくつか読んでほしい。恋がわからないと俳句どころではないだろう。
デビュー当時の小池真理子


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