天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

老の哀愁が詰った五七五

2021-11-09 05:21:10 | 俳句・文芸


きのう久しぶりに新聞を買って読んだ。情報を伝える媒体として新聞はやはり落着きがあってよい。俳壇をひらくとこの句の喪失感にひかれた。

11月8日付讀賣俳壇**************************
あるはずのものがなくなり秋の暮 山本 啓
【矢島渚男評】
ついさっき此処に置いたと思う物がない。年を取ると本当によく起きますね。「うえものをこだわり探す日短 虚子」より簡潔かも。

矢島渚男先生の句評にひかれた、といっていい。虚子の似たような内容の句を取り上げ、それとの比較で虚子よりいい、ということをおっしゃる大御所はまずいない。ある権威が別の権威に対抗しておもしろい。あっぱれ。
確かに簡潔に老いの心境が出ている句である。
短歌ふうに小生がいえば「用足しに二階に上り其を忘れまた一階に下りる黄昏」である。山本さんのような物忘れもあるが、要件を忘れることもしゅっちゅう。小生の場合、それを考えた場所に戻るとたいてい思い出す。
たまには歌壇もながめる。好きな一首があった。


11月8日付讀賣歌壇**************************
断わりぬ老後の同居その訳はひとり釣りする荒川が知る 成田周次
【黒瀬珂瓓評】子供から同居を誘われても頷かない。それは自由な生活を愛おしむがゆえ。老いの孤独は流れゆく荒川がいつも癒してくれる。

この作品はテンポがいい。石と石の間を水が流れるとき速く、瀬をかかるとにぎやかでと、水の流れにアクセントがあるが、この歌にも溜めと流れのほどよいリズムがある。「荒川が知る」と放擲し情緒を洗ったのがよい。べたべたしたものを嫌う俳人好みの着地である。これは毅然とした老境であり小生の生き方と合致した。


鷹12月号「秀句の風景」**************************

ゆつくりと疎遠になりぬ蛍草 松尾初夏
【小川軽舟評】仲違いをして疎遠になるのはわかりやすい。しかし、実際の人間関係のほとんどは、ゆっくりと、いつの間にか疎遠になる。しょっちゅう会っていたのに、気づくと間が開いて、またそのうちにと思いながら、声をかけるのが億劫になっている。「ゆつくりと疎遠になりぬ」とはあまり言われていないことだと思うが、真実を突いていると気づかされた。

「ひこばえネット」で句座を共にする初夏におめでとうと言うと、彼女は「秀句の風景で書いていただくのは、鷹に入会して18年ですが、はじめての掲載に感慨深いものがありました」とのこと。意外であった。もっと活躍していい人材である。彼女はこういうしっとりした句より「立春大吉豆大福の豆の数 初夏」というようなユーモア系が本領であり表情が剽軽ゆえ十歳ほど下と思っていたが、ぼくとほぼ一緒の年齢と知って驚いた。
みんな年を取るのだと実感した。


撮影地:都立武蔵国分寺公園


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1 コメント

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Unknown (悠)
2021-11-09 14:43:02
*あるはずのものがなくなり秋の暮 山本 啓
【矢 なるほど、、、思い当たります。佳吟です。 *ゆつくりと疎遠になりぬ蛍草 松尾初夏 こちらも手法は似てますが、共感できますね。これまた佳吟です。 過去の句ですが//*図書館に老人多しイヴの午後/悠 ◎http://www5c.biglobe.ne.jp/~n32e131/haiku/index.html

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