天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

湘子『黑』5月中旬を読む

2024-05-18 05:10:56 | アート

東京競馬場


藤田湘子が61歳のとき(1987年)上梓した第8句集『黑』。荒行「一日十句」を継続していた時期であり発表句にすべて日にちが記されている。それをよすがに湘子の5月中旬の作品を鑑賞する。

5月11日
沼舟のへたへた鳴りぬ夕蛙
舟の何がへたへた鳴ったのか。舟ゆえ小型でエンジンがついていない手漕ぎを思う。舟の腹に波が寄せているとみる。さて蛙は何と鳴いたのであろう。

5月12日
麓から五月となりぬ表富士
「五月富士」という季語があるがこの時期富士の7合目以上に残雪がある。5合目以下は草が出て初夏。海ではサーフィンが行われているかもしれない。
天道蟲渤海の晴もたらしぬ
渤海は、現中国東北部から朝鮮半島北部、現ロシアの沿海地方にかけて存在した国家(698年~926年)。なぜこんな歴史的な地名が出てくるか不可思議だが、てんとうむしと渤海は引き合う。そう感じない人がいても不思議ではないが、小生は二物が衝撃していると感じた。読んでスカッとする配合である。
駅を出て暮れしばかりの桐の花
先生はわれわれに切れのある俳句を書けと指導した。が、この句はだらだらしている。上五を○○や、とする気分ではなかったらしい。「暮れしばかりの桐の花」の情緒に作者は耽溺している。
わりなしや万太郎忌の酒に噎せ
「わりなし」は、道理がないという意味。どうしちゃったのかな、という気持ちか。俺はふつう酒などに噎せないのに。そうか今日は万太郎の命日であったか。

5月13日
まかがやく金雀枝見れば病波郷
金雀枝はすごく派手な花。長く見ていられないほど光を放つ。「まかがやく」と言いたくなる心理はわかる。そのとき病弱な兄弟子・波郷思ったのである。波郷とは正反対の元気な金雀枝。
水が照り睡蓮が照りかくて老ゆ
老人は光に弱い。ぎらぎら光る太陽から逃げたい。水と睡蓮の光も老いを誘う。ほとんど技巧のない句。

5月14日
汗ばみて藪から棒の世迷言
「藪から棒の世迷言」言葉が躍動している。さて世迷言を吐いたのは誰か。作者自身ととるのが妥当な場面。
春の昼家の瓦の重さふと
重い瓦屋根は風格を見せるのにはいいが地震に弱いとかで軽めのものになる傾向がある。先生の家の瓦がどれほど重いか知らぬが春昼にそれを意識するのはよくわかる。
薔薇を剪り詩(うた)精進をなす心
「詩(うた)精進」という言葉を小生は思いつかない。そこに先生と弟子の俳句に対しての集中度の違いを感じてしまう。「薔薇を剪り」はなんとロマンティックであることか。

5月15日
西瓜食ふ音草原をゆく如く
意表をついた比喩。気持ちがよくなるから成功といっていいだろう。
刻々と薄暑薄暮の油煮ゆ
中七の「薄暑薄暮」なる言葉の畳みかけがこの句のおもしろさのすべて。

5月16日
枕すぐほとび卯の花くたしかな
枕がすぐふやけるという意味。卯の花くたしは雨ゆえ当然なのだが枕を出して鬱陶しさがよく出た。
役立たぬ過去ばかりなり釣忍
回想であり心象である。「役立たぬ過去」の裏に「役に立つ過去」があるのか。過去が役に立つ、立たないという発想がおもしろい。失敗は役に立たないということであろうか。

5月17日
菖蒲見るため濡畔の長丁場
畔には草が繁茂している。雨の後であろう。そこを歩いて行って濡れた。「濡畔の長丁場」はえらく省略の効いた表現。
のつけから業平といふ菖蒲の名
菖蒲田にたどり着いてすぐ目に入った菖蒲が「業平」。立札を見たのであろう。菖蒲にふさわしい名前である。

5月18日
ひとの言ふわがこゑ冷(つめ)た更衣
自分の声が冷たいと言われた。更衣のとき思いだした。季語と関係ないことが付いておもしろい。
女弟子叱し卯の花腐しかな
叱った女弟子は泣いたのかもしれない。そう思わせる季語である。
心太沼舟のこゑ聞えをり
心太を食べている場所は船宿か、あるいは沼の端の飲食店か。何のための舟か知らぬが乗っていいる人の声が聞こえる。

5月19日
むくどりの水田あそびや苗二寸
むくどりは水中の虫を食べているのか。「苗二寸」という抑えが効いていてよく見える。
白玉や松の月夜を待ちながら
月の出を待っていいる。白玉と松の配色が冴える。

5月20日
夏あさし浅利たのしむ舌の先
「舌の先」まで言うとは。食いしん坊の人の句。
コメント (2)
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