天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

気を吐く墨子さん

2023-05-03 06:14:29 | 俳句



「流星道場」に安方墨子という人がいる。俳句が好きだからみんな句会に参加しているのだが彼のそれは余人を上回っている。小生が立ち上げた「流星道場」であるがこの句会への執着は上ではないかとしばしば思う。
彼は何かの事故に遭ってひどく体を傷めてしまったようでしばしば入院加療する。脳神経科をはじめ全科のお世話になっているというメールをもらったこともある。メールの返信があるときは安堵する。
いつか流星道場の投句締め切りに入院中で間に合いそうもないとき、句会の掲示板に「墨子の妻ですが…」という書き込みがあったときは驚いた。夫の句会に妻がコメントするなど経験がない。妻も夫の句会参加を支えていて微笑ましかった。
体調同様、俳句の出来も乱高下する。鷹5月号は6句のうち4句採られ、おまけに「八人衆」と呼ばれる鷹誌のいわばショーウィンドーで大きな字となった。めでたい。

一月果つ其は眩しくて褪せ易し 安方墨子
逃げ場なき潮風に耐へ梅紅し
宿痾の咳五臓六腑を抉るがに
芭蕉忌や渡りきれざる時の橋
「其は」は格調ある表現。海岸近くの紅梅を逃げ場がなきと見たのは自分の身の上と重ねているのか。咳の句にあらためて病状の深刻さを思う。「渡りきれざる時の橋」は観念的でつかみにくいが無常を感じる。

墨子さんとは龍ヶ崎句会で知り合いになりおもしろい句を書くので流星道場に誘った。誰かからハーバード大学を出たと聞いたことも彼に興味をもった理由のひとつ。本人に聞いたら卒業したのではなく社会人としてそこへ赴いて〇〇教授と共同研究したのだという。何の研究かは知らないが噂はそう外れていなかった。「そんなこんなで自分は変人である」と本人が言う。
とにかく特異な人材である。彼の特異さを鷹主宰はよく理解する。たとえば次の句。

帰省の夜父の日記の束解く 墨子
【小川軽舟評】亡くなった父の遺した日記である。まめな人だったのか、かなりの冊数がある。誰が読むでもなく、紐で束ねて実家にしまわれていたのだ。「束解く」が束ねられたままだった年数を思わせる。作者がその日記を繙いて父に向き合うためにはそれだけの年月が必要だったのだ。胸中のわだかまりが取れて、ふいに父が恋しくなった。帰省は親のいる家に帰るのが普通だが、こんな帰省もあってよいと感心した。(鷹2022/9月号秀句の風景)

この句は流星道場へ出たのだが小生は反応しなかった。そう点も入らなかったと思う。鷹主宰が上記のように褒めても、そうなんだと思うばかり。犬が月を見ている気分である。

墨子さんと主宰との間でときどきスパークする。それは小生の意表をついていてハッとする。
いつか墨子さんが流星道場にこの句を出した。

パスカルもアルキメデスも流れ星 墨子

読んだ瞬間に愉快になった。この二人の偉人を流星だという発想。そういえばこの才能が地球に出来して消えて行った。とにかく一読して覚える句であり小生は採った。小生だけ採った。この句をあとで鷹で見たとき驚いた。まさか鷹へは投句しないと思っていた。採った主宰にも驚き主宰の懐の深さに驚嘆した。このときも二人の間はスパークしたのだ。 

後遺症に耐えて生きているがユーモアがある。墨子さんと呼ぶと牧師さんを連想して愉快になる。鷹よりもまず流星道場だという墨子さんがいてくれてありがたく思っている。元気でいてほしい。


撮影地:武蔵国分寺公園(国分寺市)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする