天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

補聴器をつけるべく

2023-05-02 05:27:11 | 身辺雑記

近くにあるリオン本社(国分寺市)

きのうリオン本社へ補聴器の相談に行った。
ネットで調べたが支店がどこかわからず近くにある本社へ飛び込んだ。アポなしだが丁寧に応対してくれ聴力検査をしてくれた。中程度の難聴である。今日、指定医へ行き認定を受けてから補聴器をつけることになる。
ずっと前から耳の感度はよくないと思っていた。60歳を過ぎてからさらに聞こえが悪くなってきて、複数の人が集まる会議などで端の人の発言が聞き取れなくなっていた。妻が部屋の端で言ったことがわからず4mほど近づいてきて話すとやっとわかる。後ろからしゃべられるとわからない。妻は私の言うことを聞きたくないからというのもあるけれど、難聴は認知症に通じるのよ、と言う。
人がそうたいしたことを言うわけでなはないので聞こえなくてもいいやい、とは思うが、認知症は嫌だ、ガンになるより嫌だ。というわけで補聴器装着に踏み切った。何十万円というのは買えない。予算があるので機器を買う段になったら妻も参加するという。
リオンのパンフレットによれば、聴くのは脳の行為であるという。難聴は聴くことに対して脳が怠けている状態である。怠けた脳に音の刺激が行くとはじめは「うるさい」と感じる。それで補聴器を装着した人は外したくなる。それを克服してとにかく3ヵ月続けることが課題らしい。麻薬中毒患者がそれを克服することをちら思う。
暑くなる時期に補聴器を始めるのは試練である。生きているのは面倒である。死ぬのは嫌だが。

桃の花耳大き爺耳遠く
最近書いた句である。花咲爺さんのイメージでできたが自分が耳が遠いことが下地にあったことは事実。せめて耳朶が大いのが願望。聞こえには関係ないかもしれないがふくよかである。

難聴の耳心地好し南風
夏の海辺は南から風が吹く。とめどなく吹く。あれは気持ちがいい。風の音は人の声よりいい。人の話なんて聞こえなくてもいいんだけど……。

泳ぐなり世の喧噪を振り切つて
浜辺に人が芋を洗うようにいる。そういう雑多は嫌で沖へ泳ぐ。泳ぐときは補聴器を外していいのだろうな。そのまま人の声のないところへ行ってもいのだがやはり戻る。
補聴器は人の世と繋がるための道具である。ああ面倒が待っている。

コメント (1)
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