天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

本日はどなたの忌日亀の鳴く

2023-05-01 05:21:56 | 俳句



休日にいろいろな名前がついているがよく知らない。きのう結と公園へ行きえらく人が少なかった。それで世の中は黄金週間に入っているのを知った。年金生活者はこの時期の連休というのに関心がない。けれど5月1日がメーデーというのはよく知っている。

メーデーのビラ吹かれ来し鳩溜
組合の要請でメーデーに参加した20歳代のころ。この日は仕事でもないが遊びでもないという奇妙な感覚であった。文化学園の労働者は新宿駅を越えて花園神社まで歩いた。歌を歌った記憶はない。知った人と話をしながら神社へ行き、そこで組合の偉い人がなにか話をして解散したように思う。新宿には鳩があちこちにいた。鳩を見るとやるせない気分になった。

躑躅咲く気怠き午後のラブホテル
50年前、メーデーに参加して妻になる女と親交を深めた。小生にとって労働者の権利とかいう高邁な考えはほとんどなく、仕事とは違う環境で気になる女と話す格好の機会であった。お昼ころ集会は終り、流れ解散となった。あの日女とラブホテルへ入らなかったが気分はデートであった。われわれのほかにも同様のカップルはいた。

ひと匙食ふ女差し出す蜜豆を
女はやたら甘いものが好き。女がいるから蜜豆屋が成り立つのだと思う。女と喫茶店に入るのはいいとして〇〇パーラーとかいった洋菓子店や蜜豆屋へ入るのは鬼門である。そこに男はほぼおらず女等の視線を受ける。蜜豆は一人分にしても蜜豆は量が多い。ひと匙で十分なのである。

がやがやと人わさわさと躑躅かな
5月は暑さでくたびれる。7月8月のほうが圧倒的に暑いが5月は身体が暑さに慣れていないのでこたえる。特に躑躅という花は5月の疲れを象徴させる存在。見るだけでうるさい。ゆえに藤田湘子は嫌った。湘子同様、小生もこの花は苦手である。世の中には躑躅をさざわざ見に行く奇特な人もいる。いろんな人がいていろんな花が咲き、濁世はおもしろい。

蕊を踏み渡り廊下に春惜しむ
春の終わりは感傷的になるがそれをすぐ来る暑さが追いやる。いまはもうない故郷の小学校に渡り廊下があった。それを渡るとトイレであった。トイレに向かって上るように廊下ができていた。板が張られていて雑巾がけをさせられた。廊下は壁がなく風は吹き抜けた。したがって外から花や蕊、蝶や蜂が飛び込んだ。

行春の雨流れをる滑り台
結と付き合いで滑り台をよく見るようになった。黄沙も降るしいろいろなもので汚れている。それらを雨が流してきれいにする。春の雑多なあれこれが流れて夏が到来する。

燕来るどこへも行かぬ老人に
連休を喜ぶのはきっちり働いている人たちである。若くて体力、気力が満ち、欲望がぎらぎらしているからである。72歳になれば体力、気力、お金がなく、よって欲望もそうとうなくなっている。1キロ以内で生息していてべつにどうということはない。遠くからやってきてくれるものがありがたい。
きのう自転車を駆って帰る途中、胸がべちゃっとした。見ると空に何か鳥がいて糞を落としたのであった。糞はもらいたくないが何もないよりはおもしろいか。

写真:パンダ公園の躑躅。ここはこの花一色。嫌いな花だが不思議にここで結はよく遊ぶ。まあ橙よりは紫のほうがいい。
コメント (1)
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