天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

俳句は政争の道具ではない

2014-09-07 08:52:36 | 俳句

毎日新聞9月7日付の「みんなの広場」に、「俳句の掲載中止に恐れ入る」という題で植木國夫さん(福島市)の意見が載った。
彼は次のように語る。

さいたま市の公民館が「公民館だより」の俳句コーナーに、サークルが選んだ俳句の掲載をとりやめたという。その句は「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」で、「世論が大きく分かれる問題で一方の意見だけ載せられない」からだとか。
俳壇の大御所、金子兜太氏は「社会の一事象と言えるほどの動きを柔らかく優しく書きとめた俳句に、大の男が大騒ぎするとは恐れ入った」と評し、「九条の緑陰の国台風来」と詠んでいる。(以下略)


兜太さんのいう通りで「世論が大きく分かれる問題」というのは大げさであり、俳句を意見としてみていることに違和感を持つ。
俳句を書く方も掲載する方も俳句を意見と考えているのがこの投書によく出ている。
俳句を意見発表の場と考えて作っている人は世の中にそうとういる。
添削していると福島の災害について慨嘆したり、平和を守れと叫んだり、年金が安いから上げてくれ要求するような句にあまたお目にかかる。
そういった意見俳句は添削のしようがなく、俳句というのはそういうことをお書きになるものじゃありませんよ、ということを言いたくなる。

兜太さんの意見はまっとうだが「九条の緑陰の国台風来」がそんなに高いレベルの句だろうか。
「緑陰」と「台風」の季語のダブりはテーマをおぼろにしている。「九条の国」としたほうが切れ味は出る。受講生の句なら季語を一つに絞るよう指導しているだろう。

兜太さんには社会、戦争を詠んだもっと抑制の効いた秀句がある。
湾曲し火傷し爆心地のマラソン 兜太
水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る 同
海に青雲生き死に言わず生きんとのみ 同


俳句というのは声高にハンターイと叫ぶようなものではない。デモ行進するような俳句はすぐさま政治に利用されてしまうだろう。それでは文芸は立つことができない。
ましてや五七五しかない非力な俳句は。
俳句を何かのために役立たせようという発想がそもそも無理なのだ。
自分を見据えて自分をしかと詠むことでうすうすと背後の時代や環境をにじませることができたら上出来。そういった味わいは時代を越えて生き、色褪せない。

広島や卵食ふ時口ひらく 西東三鬼
戦争が廊下の奥に立つてゐた 渡辺白泉
てんと虫一兵われの死なざりし 安住 敦
瓦礫みな人間のもの犬ふぐり 高野ムツオ
手がありて鉄棒つかむ原爆忌 奥坂まや


こういった俳句は時代を越えて生き続けるだろう。
「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」、「九条の緑陰の国台風来」などと比べて作品としての奥行と想像力の多様性はうんぬんするまでもない。

俳句の基本は自分を書くことであって社会にメッセージを発信することではない。安易なメッセージは俳句を汚すし自分の感じ方をたやすく人並みにして安心してしまうことに通じる。
俳句を書くということは人と群がることではなく孤立を恐れない精神なのである。
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朝日新聞的謝り方

2014-09-07 04:05:59 | 世相

朝日新聞が、ジャーナリストの池上彰さんの連載するコラム掲載をいったん断り、その後掲載した問題で、同紙は6日付朝刊に「掲載見合わせは間違った判断だった」との市川速水・東京本社報道局長名のおわび記事を掲載した。

池上さんは8月29日付朝刊に掲載予定だった原稿で、朝日新聞が自社の慰安婦報道を検証した特集に対し「過ちを訂正するなら、謝罪もするべきではないか」などと書いたところ掲載を断られ、連載打ち切りを申し入れた。しかしこの問題が報じられ、同紙は4日付朝刊に掲載した。
おわび記事の中で「特集掲載以来、関係者への人権侵害や脅迫的行為、営業妨害的行為などが続き、こうした動きの激化を懸念するあまり、池上さんの原稿にも過剰に反応してしまった」と説明している。

ネームバリューのあるジャーナリストであるからいたしかたなく謝ったという気がしてならない。
本来ならこういう大失態は社長が出て謝罪しなければならない案件だろう。
一ジャーナリストに謝罪するよりまず購読者、国民に謝罪するのが筋であろう。
それも1面を全部使って1週間くらい謝罪記事を打ちつづけるほどの不面目な事態だろう。
しかるのち「朝日新聞」という名前を残したいのであれば社長以下経営陣は総辞職して外部フタッフを導入して再出発しなくてはならぬほどの重症であるはずだ。

朝日だけでなく読売も毎日も産経も偏りはある。
新聞に中立などないしそれを求めてはいない。けれど初めからある意図を持って、予断を持って事象に当るというのは本末転倒である。
朝日はある特殊な予断に凝り固まっている集団である。それが信用できない韓国の一人の男の弁を裏を取ることもなく受け入れるはめになってしまった。
それは新聞としての死である。
朝日は偏りではなく捻じれている。
ある価値を追うあまり日本を嫌い自分たちを傷つけるようになってしまった。自傷行為である。

かつて「神の手」といわれた考古学者がいた。
石器探しの名人として活動した。発見効率が驚異的に高いことから、仲間内では「ゴッドハンド(神の手)」の異名を馳せた人だ。
調べてみるとほどんどが自分で土器を埋めておいたものを掘り起こしていた。
刑事罰の対象にはならなかったものの社会に与えた負の影響は凄まじいものであった。
今回の朝日新聞報道も同様で世界に対して日本人のモラルを必要以上に下落させている。

朝日新聞は消えていい。
消えたくないのならまず国民への謝罪、そして外部スタッフ導入しての捻じれた自傷行為の治療しかないのではないか。現状では新聞というにはあまりに恥ずかしい。
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