天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

登れなかったマークスの山

2014-09-22 12:36:23 | 
直木賞受賞など数々の文学の賞を受賞している高村薫。
彼女の物語性に注目して以前『照柿』をひらいて5ページも読めなかった。文章がひどくごちゃごちゃしていて疲れた。

最近またこの作家が気になりだして直木賞受賞作品『マークスの山』に挑んだ。
舞台は南アルプス。日本第二の高峰・北岳にいたる池山吊り尾根での2件の殺人事件から物語がスタート。
北岳・間ノ岳・農鳥岳は何度か行っている。
だが池山吊り尾根は一度登ろうと思ってそれきりになっていることもあってまず舞台に興味を持った。


この尾根の下の飯場で住みついている中年男が逃げられた妻の幻影を見て下山する登山者を撲殺してしまう。
起訴されて刑期を終えるのだがもう少し上でまた白骨死体が見つかってそれもこの男の犯行だろうということになる。
一方、最初の事件が起きたころ一家3人車で来て林道で心中する事件が起きていた。


一人息子は助かるのだが精神に変調をきたしてある精神病院に入院。
そこで手厚い看護婦に出会う。看護婦は3年周期で変調をきたす少年が治ると信じて介護。
年頃になった少年に手淫を施すなど職務を越えて情を通じるようになる。
そして退院した少年、いやもう青年となった彼と同棲している。
この青年と撲殺事件の中年男はいずれ結びついてくると思われるが、総ページ440のうち158ページまで来て読めなくなった。

捜査員たちの会話がやたら多く疲れはじめた。
推理小説に事柄や事例が多かったり会話が多いのはわかるが、この小説の雑然さは半端ではない。
いつか見たコルカタの貧民窟のゴミの散らかっているさまを思ってしまった。
どの文章も軽いのでどんどん読めるのだがそうしていて何のために読んでいるのかわからなくなった。
洪水後のゴミをつぶさに調べるようにいちいち書いていって何になるんだろう…。
かすを読んでいるように思えてきてついにダウンした。

直木賞選考にあたった田辺聖子委員は「何よりこの作品の強い魅力は、刑事群像の躍動感、存在感であろう。」と評価する。
井上ひさし委員も「この作品で作者は、真知子という善悪をはるかに超えた人生の泥と涙にまみれて人を愛する女を創造し、読者との関係をしっかりと付けた。彼女の愛は、推理小説だの警察小説だのといった狭い枠を越えて、はるか普遍の愛にまで達している。」とエールを送る。

両者が言わんとすることはわかるから158ページまで読めたのだが、警察関係の描写がうるさくてしかたなかった。
これについて五木寛之委員は「私が〈マークスの山〉を受賞作として一本で推さなかったのは、犯罪の動機に納得がいかなかったのと、警察内部の人間関係にあまり興味がなかったせいである」としている。五木さんの見解に納得する。

ぼくが俳句をしているせいかもしれない。
散文にしてもあまり本質と関係なさそうな描写が続くと嫌になる。警察小説が嫌いというのではない。
たとえば横山秀夫の『半落ち』を警察関係の描写や捜査員たちの会話が過剰だとは思わない。これは傑作である。
小説はやたら長く書けばいいといものではなく文章の密度が大事だ。

ぼくにとって『マークスの山』は登れない山であった。
新潮社の文芸担当ではないので義理で本を読み通さない。高村薫はぼくにとって縁のない作家ということだろう。
コメント
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