天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

竜ヶ崎句会9月

2014-09-08 13:01:49 | 俳句

きのう常磐線に乗って竜ヶ崎句会を訪問した。道中、半そででは寒いほどで昼飯を食べてあたたまった。そして急に眠くなった。
参加者12名、欠席投句も何人か。
句評の的確な安方墨子が隣にいたのでぼくと和して人の句を切り刻むのに拍車がかかった。いいのか悪いのか…。
6句出句であったが時間が余った。7句出してもよかった。
句会後、佐貫駅前の飲み屋で懇親会となった。

赤信号運動会の曲きこゆ 竹前光男
学校のそばの道を通りかかった運転手の感じた運動会というのが見どころ。「赤信号」が浮くことなく巧みに自動車のことを感じさせたのがうまい。


天高し錆びしペンチに油注す 光男
錆と油の質感。地上のこまごました作業に対して晴れた空を見せたのがいい。すかっとしたダイナミックな力学で句が広がりを得た。


年とらぬ少女の像や原爆忌 芳住久江
こういう視点ななきにしもあらずだがこの少女に早逝を感じて原爆忌と引きあう。


赤黄色ハワイ気分のハイビスカス 久江
楽しさを謳歌する率直さがいい。能天気と見えて、色から入って「ハワイ気分のハイビスカス」というふうにハの頭韻が効かし音感に転じたのは技。
前回この作者は「取り合わせの句はわからないから作れない」といってぼくの説明を求めた。わからないことをわかってもらうことはできなかったと思うが、このようにわっと季語を突きつけるような一物ができればいうことはない。
ハイビスカスと一体になっている作者に拍手。


つながらぬ電話いらだつ秋出水 多田芳子
この取り合わせはおもしろいが、「電話にいらだつ」と言わなければいけないところを字余りになるので「に」を省いてしまった。そこを直したい。たとえば「電話に焦れる」とかして。ここは粘って自分で対処してほしいところ。



鈴の根付立ち居に鳴るや望の月 芳子
中七「立ち居に鳴るや」で楚々とした女性の身のこなしを言ったのがよかった。

豊年や弁財天の鈴鳴らす 宮本八奈
「弁財天の鈴」の鈴が効いていていかにもこの季語らしい。


積みあげて古ぶ稲架竹秋深む 八奈
中七までよかったがなぜ「秋深む」なのか。「稲架竹」が立派な季語である。作者は「積んであって使っていない稲架竹だから」というが言葉がそこにあれば機能する。使わない古い稲架竹ということで機能しているのだ。
下五は季語が重複するが、「星月夜」とか「流れ星」とかすれば鮮やかに一転するだろう。


劇場を出るや葉月の銀座の灯 高嶺みほ
上五の「劇場」から「銀座の灯」に持っていった構成力が光る。多少つなぎがなめらかさを欠くうらみはあるが、銀座の洒落た感じが伝わる。


秋茄子を焼くや外面よき夫婦 みほ
秋茄子と外面が効いて一句をおもしろくしている。俳句は軸になる言葉を見つけると決まるという好例。



何事もなき一日や荻の花 白取せち
素直に気張らずにまとめて秋の静かな一日を見せている。それはいいのだが、上五中七はよくいわれているところでいかにも穏やかでぬるいといえばぬるい。鷹同人として、また竜ヶ崎のリーダー格としてはもう少し冒険して平穏の向こうにある厳しい詩やファンタジーの開拓者になってもらいたい。


笛方は上級生や秋祭 井原仁子
上級生ということで地縁を感じる。


目礼に目礼かへす秋日傘 石井進
会釈に会釈するといったことはそうとう詠まれているが初心者ならいい。


月光の母艦鎖に繋がれて 清水正浩
点は入ったが「月光の母艦」とつなぐことによって句格を小さくしている。「月今宵」とかしてすこし間を置くか、いっそう月にこだわらず「鳥渡る」とかして別次元の詩を開拓してもいい。


皺多し農夫の顔や豊の秋 宮本秀政
「皺多き」としてつなげないといけないが初心ならまずまずの出来。農夫の顔の皺は当然といえば当然。農夫の別のところを見ることで個性が出ることが課題。


一人寝の朝の香りや菊枕 小宮光司
光司さんは俳句をはじめてまだ1年足らずとか。「一人寝の朝の香り」を自分のからだの匂いとみればおもしろいのだが季語が香りだから喧嘩する。作者は「朝の香り」を菊枕の香りとしたいようだがそれは通らない。
季語を変えて自分の匂いとはっきりさせるほうがいいだろう。


ひも太き宅配便や花カンナ 遠藤奈美子
とりあえず型その2を使って書いていて安定している。「ひも太き」が作者の見たところだがそれがどのくらい人に訴える力があるのかは考えたほうがいい。宅配便でも見るところはいろいろあるからもっと違ったところを発見してもいい。


夕化粧ピアノ聞き居るコーヒー屋 中山美恵子
夕化粧はおしろい花だが「おしろいや」としてほうが形が安定する。「コーヒー屋」は色気がないので「ピアノ聞き居る喫茶店」でいいのでは。地上にピアノだの書いてないがテーブルなど物はあふれているので季語をまたそのへんの花にするのは得策か。
「十六夜や」とかして天文系にしたほうがピアノはよく響くのではなかろうか。


とんぼうや日暮れて匂ふ細小川 安方墨子
「細小川」がくすむがそこまでのフレーズには詩情がある。
コメント
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