「利普苑」……なんて読むんだ? どえらい俳号だなとずっと思っていた。
同人名簿にはルビがあるんだがすぐ忘れてしまう。「りーふぇん」と読むのだがこれについて友人の黄土眠兎が(こいつもスゲー俳号)次のように書いている。
「利普苑」は、るなさんが尊敬しているレニ・リーフェンシュタール女史の名前に好きな字を充てたものだという。リーフェンシュタール女史は「どんなことがあっても人生にイエスと言う」と決めた人だそうで、そういう厳しい道をるなさんも歩むのかなーと、ぼんやり思った。
るなさんはぼくや眠兎のやっているネットの「シベリウス句会」へ遅れて参加した。
やわらかで浪漫性のある句を書く人…もう少し写生が厳しくなるともっとよくなるという印象だった。
「シベリウス句会」でいただいた以下の句はなつかしい。
冬ざれや石の天使に永遠の笑
黒髪の全校生徒冴返る
黒髪の母より知らず沈丁花
南欧より届くメールや夕薄暑
極月の厨に赫き鷹の爪
天使の句は草田男の「冬薔薇石の天使に石の羽根」と同じモチーフということが議論になったが、ぼくも眠兎も違う趣向であると支持した。
南欧は句会で一点も入らなかった。ぼくも採らなかったが「1点くらい誰か入れてもいい句」という妙な評価をした句で鷹主宰は採った。
極月は点が入ったがぼくは鷹の爪が赤いのは当然、言ってもしかたないと拒否したら鷹主宰は採った。
いろんな思い出があって句会や俳句は楽しい。
本人が自選10句に選んでいない句がぼくは好きで、
縁側に羽毛ひとひら星月夜
鳥交る綿のこぼるる縫ひぐるみ
仰ぎ見る僧の背丈や水の秋
遠浅の海の音聞き冷奴
新涼やミシンの音の緩と急
円錐に頂点ひとつ油蝉
などにるみさんを感じる。鳥交る綿のこぼるる縫ひぐるみ
仰ぎ見る僧の背丈や水の秋
遠浅の海の音聞き冷奴
新涼やミシンの音の緩と急
円錐に頂点ひとつ油蝉
代表句といえばまぎれなくこの句であろう。
戦後しか知らぬ生涯南風吹く
季語が絶妙。南風を南方とからめてかの戦争の南方戦線を想起させる。俳句はこういう味付けを積極的に行うとたいてい鼻について失敗するがこのていどは隠し味。
気持ちいい南風とかつての暗い戦争との両方に意識が行く奥行がある。
るなさんはいま肺がんで入院中と聞く。
それでもシベリウス句会にはちゃんと出句してくる。俳句や文章をみるかぎり元気じゃないかと思うが仔細は知らない。
はいはいといって病院でパソコンを打っているのだろうな。