天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

坂東眞砂子の遺書

2014-09-19 00:32:08 | 

『眠る魚』(2014年5月25日/集英社)は坂東眞砂子の遺書のような趣の未完の絶筆小説である。
彼女は今年の1月27日、舌癌のため死去した。享年55。
先月『瓜子姫の艶文』を図書館で見つけたとき死後に本が出ていたことに感動し一気に読んだがまだ1冊あるとは……死んでも凄まじい作家魂を感じる。
本書は集英社のウェブマガジンに掲載されていたようだ。

物語の舞台は東日本大震災、原発事故後の架空の町。
長く南太平洋のバヌアツに暮らす伊都部彩実が父の訃報を受けたのと東日本大震災に遭った祖国を見たい思いで帰国する場面から始まる。
彩実は日本で診断を受けて舌癌とわかり入院するなど作者を色濃く反映させている。
彩実は安全な食を求めて生活し放射能汚染に敏感であるが、
当地の兄弟や親戚が原発事故から逃げるのでも闘うのでもなく流されるように生きていることに嫌悪感と諦念の気持ちを抱く。

坂東は恋人アンディをしてこう言わしめる。
「日本を旅した時、アンディなどはその独特の雰囲気に驚異的なエキゾシズムを感じていた。だから日本人には個人性はない、集団でひとつの概念を形成しているだけだ、個人としての親密なつきあいなどできないと罵ることもあれば、この個人性の溶解した生温い温泉に浸かっているような感覚は素晴らしいと褒めたたえたりもしていた。要するに、わけがわからない、ということだ。」
「その個人性が押し殺される感覚が厭で日本を逃げ出したのだった」

日本にいては実現できない個人の自由と尊厳を求め、性と死の極限を見据え幻想を加味して作品化してきたのが坂東である。
ファンタジーを味わいとしながら坂東は怜悧に思考をめぐらす。
私たちが「思考」と呼ぶものは、たいてい感情的想念とでもいうものだ。汚染によって今なお故郷に戻ることのできない福島の人々に対して同情する。可哀想だから、助けてあげなくちゃ、という、感情を筋とした流れを思考と呼んでいるに過ぎない。
感覚や感情を第一に置く日本人にとって、目で見て、肌で感じる実感が、思考を駆逐し、強烈に主張する。
ここは静かで平和な地だ、何も起こらなかったのだ、と。


彩実(坂東)は日本人の心性に対する嫌悪感を一面にふりまいていながら、父の住んだ家が愛人に譲られる遺言書を見てショックを受ける。
「これまで私は、何が起きても、土地さえあれば生きていけると信じてきた。………故郷の土地は、私の最後の砦だったのだ。しかし、福島の原発事故は、その最後の砦を見事に吹っ飛ばした」
「生まれ育った家や土地を失うとは、幼年時代から思春期を育んでくれた子宮に還る希望を失うこと」。


祖国を嫌悪する気持ちと土地や家への無条件の愛着という相反するものが凄まじく闘う。坂東の言葉は嘘と無駄がなく鮮やかである。
コメント
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