人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

頭をあげる

2018年12月15日 | お気に入りの言葉

      あなたはわたしの盾、・・・・
  わたしの頭を高くあげてくださる方。詩篇3篇4節

 「頭を高くあげ」る、とは敵に立ち向かっていく姿勢を示す言葉であります。
 神はきびしい状況の中で守ってくださる方であるだけではありません。
 その状況に向けて踏み出していく力をくださる方であります。
 小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想4」より

 


欺きのない人

2018年12月15日 | お気に入りの言葉

      いかに幸いなことでしょう。
      主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。詩篇32篇2節

   主の赦しを知らない人は罪咎を隠し、たえず自分に言いわけをしたり、弁解をしたりしながら生きていかなければなりません。疲れ果てます。
「欺きのない人」とは光のもとにひき出され、もはや逃げも隠れもしない人のことであります。
そのとき人間は真実楽になるのです。
 小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想4」より

 


悪事に勝つ

2018年12月14日 | お気に入りの言葉

   悪事を謀る者は断たれ
   主に望みをおく人は、地を継ぐ。詩篇37篇9節

  悪事に対して報いるにもっとも容易な方法は悪事をもってこたえることであります。
 悪事をもって悪事に勝つ、そうやって人は悪魔に席を与えることになるのです。
 悪に勝ちうるのは神のみであることを忘れてはなりません。
 信仰とは神を待つ忍耐のことであります。
 小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想4」より


水が川となって

2018年12月13日 | お気に入りの言葉

      渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。
      わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、
      その人の内から生きた水が川となって流れ出るようにる。ヨハネによる福音書7章37、38節

  人の渇きを癒すために何か特別な方法があるわけではありません。
あるいは何処か別な場所に赴かなければならないというのでもありません。
ひとりの方のところへ行くのです。
わたしたちを救い、父なる神に出会わせてくださったメシヤのもとに。
この方のもとに行けば、水は川のように、わたしたちの内に流れ始めます。
 小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想4」より


心と魂を傾けて

2018年12月12日 | お気に入りの言葉

      今こそ、心と魂を傾けてあなたたちの神、主を求め、歴代誌上22章19節

   心と魂を「傾ける」のです。
身をかがめなければ湧き出る泉から汲むことができないように。
 なにかを受け取るためではありません。
主なる神、その方を求めるのです。
内なる人の渇きはその方に出会うことなしには癒され得ないものだからです。
 小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想4」より


救い主の時

2018年12月11日 | お気に入りの言葉

  婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。
  わたしの時はまだ来ていません。ヨハネによる福音書2章4節

 これは拒絶の言葉ではありません。
なぜなら、「わたしの時はまだ来ていません。」と言われるからです。
 救い主のこたえてくださる時。それはまた、祈るわたしたちにとって、もっともふさわしい「時」であります。
 小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想4」より


自分を低くする

2018年12月10日 | お気に入りの言葉

       神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。
       そうすれば、かの時には高めていただけます。ペテロへの手紙1、5章6節

  自分を低くすることはむつかしいことであります。
 周りの人々はみんな自分を高くしているので、背伸びしたくなるのです。
 しかし、人はみな、そのように背伸びすることによって孤立し、助けなき者になります。
  あるべき自分にかえるとき、すなわち「自分を低く」するとき、神の強い御手がわたしたちを支えてくれます。
 小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想4」より


人の手

2018年12月09日 | お気に入りの言葉

   手のひらに欺きがあれば貧乏になる。
   勤勉な人の手は富をもたらす。箴言10章4節

 「手のひら」とは働く手を意味しています。
 労働に嘘があれば、その労働がいかに多くの富を得させたとしても、人間を貧しくするばかりであります。
  ひとつひとつの積み上げる労働は人に糧を得させるだけでなく、人間そのものを豊かにするのであります。
 小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想4」より


借り

2018年12月08日 | お気に入りの言葉

      互いに愛し合うことのほか、だれに対しても借りがあってはなりません。ローマ信徒へのへの手紙13章8節

 借りを作るなというのです。負うべきものを負い、果たすべきことを果たしなさい、と。
 ただし、「愛し合うこと」に関してはだれに対しても借りがあるのです。
救い主イエス・キリストから受けている愛の借りを隣人に返してゆかなければなりません。
 隣人から愛を受けていなくても、です。
 小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想4」より

 


父の鍛錬

2018年12月07日 | お気に入りの言葉

      肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、
      霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。ヘブライ人への手紙12章10節

   肉の父は限られた期間、子どもを鍛錬します。
「自分の思うままに」。父親の名誉欲もエゴイズムも子どもを鍛える動機になります。
しかし「霊の父は」「わたしたちの益となるように」鍛えてくださいます。
別の言葉でいえば「御自分の神聖にあずからせる目的で」。
 霊の父は鍛錬しつつ、わたしたちを御自身の聖なる領域に引き入れてくださるのです。
 小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想4」より


追随

2018年12月05日 | お気に入りの言葉

   あなたは多数者に追随して、悪を行ってはならない。出エジプト記23章2節

  人は単独で悪を行うよりは、多数者とともに行うのです。
 いじめも、村八分も、非国民呼ばわりも、さまざまな差別も、多数者に追随して行われてきました。
 主体性のない多数者が人を追いつめ、人の命を奪ってきました。
  そういう多数に流されないで立ちつづけること、それが信仰の闘いであり、良心の明かりを失わないことであります。
 小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想4」より


苦難をプロセスとして

2018年12月04日 | お気に入りの言葉

  神に従う人は苦難に陥っても助け出され 箴言11章8節

 神に従う人に苦難がないわけではありません。
 苦難はあるのです。
 しかし、苦難が終わりではありません。
 神は苦難から助け出してくださいます。
 神に従う者は苦難をとおして神の御業を見るのです。
 苦難を、救いへのプロセスとして受けとめることのできる者は幸いであります。
 小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想4」より


待ち続けるだけでは

2018年12月02日 | お気に入りの言葉

      待ち続けるだけでは心が病む。
      かなえられた望みは命の木。箴言13章12節

 ただいつまでも待ち続けるだけなら、心は病んでしまいます。
人の心は鋼鉄でできているわけではないからです。
   神は信じている待つことをわたしたちに求めますが延々と待つことを求めるのではありません。
こたえてくださるのです。祈って待って、こたえていただいて、わたしたちは内に命をいただくのです。
 小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想4」より