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信仰にいたるまで、壮年時代④

2013年04月04日 | 教会

壮年時代④
礼拝、祈祷会、その他の集会にも熱心に通うようになりました。
しかし、洗礼は受けなかった。
元来、形式的なものが嫌いだった。
また教会員となると色々と束縛されるような気がしていた。
(洗礼を受けると教会員となり、それまでは求道者となっている、教会生活はどちらも大差がなく、また自由も尊重されている)
世間的にも信仰を持ったことを話していませんでした。
信仰していることが、恥ずかしいような気がしていました。
"宗教には弱い者が入る"とか"宗教は暗い"という世間的な観念を心配し、
信仰を表明すると弱さをさらけだすような思いがあった。


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