人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

万事を益となるようにして下さる。

2019年02月21日 | お気に入りの言葉

 

 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。(ローマ書八・二八)

 

 宇宙はその細目に至るまで、神の支配したもうところのものであります。
神の許しなくしては、一羽のすずめすら地に落ちません。
また私どもの頭の毛までがみな数えられるとのことであります。
かかる世にありて、かかる神を信ずることでありますれば、
私どもは何事にかかわらず安心しておるべきであります。
私どもの兄弟が私どもに逆らって私どもを苦しめましょうが、
私どもの友が私どもを売って私どもを死地におとしいれましょうが、
私どもの事業に大妨害が起こりましょうが、これみな愛なる天の父の主宰の下に成ることでありますれば、
私どもに益なすことであって、決して害をなすことでないに相違ありません。
「万事(すべてのこと)は、神の旨によりて招(まね)かれたる神を愛する者のために、ことごとく働きて益をなす」
とは実に慰藉(いしゃ)をもって充(み)たされる言辞(ことば)であります。(信八・一九五)


 続一日一生 内村鑑三著より

 


正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。

2019年02月21日 | お気に入りの言葉

「裕福な者が神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう」(ルカ一八・二四)。
これは実際むずかしいことです。
なぜなら、物質的繁栄が、霊的貧しさを認めさせないようにしているからです。
 たぶん善良な人ほど救われるのがむずかしいでしょう。
そういう人は自分を義とし、また人間は道徳的であることによって盲目になり、自分の罪をみることができないのです。
 イエスは言われました。「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」(マタイ九・一三)。
罪を認めるのは救いの第一歩です。
この世の人が見て善良な人が、神の御前に自分は罪人であると告白するのは、いやなことです。
 だれも、自分の人間的な義をはぎとられて、神の御前に罪人として出るまでは、救いに至るための信仰の第一歩を踏み出せないでしょう。
ポールB.スミス著 山口昇訳 日ごとの福音より