荒野の泉 レテー・B・カウマン 山崎亭治訳 より
すべての人と国民は、神の備えたもう逆境の学校で学ばねばならぬ。
わたしたちは、夜は幸福だ、夜は星を私たちに見せるからということができる。
それと同じで「悲哀は幸福だ、それは神の慰めを示すから」と言い得る。
洪水は一人の貧しい人が持っていた家庭と水車とその他一切を洗い流した。
彼は水が退いてから、その損失の光景の前に立った時、失望落胆していたが、
水が岸を洗ったところに一つの光る物を見だした。
これは「黄金のようだ」と言ったがたしかに黄金であった。
彼をこじきにした洪水が、今や彼を富ませたのだ。
わたしたちの生涯にもしばしば同じようなことがある。
H・C・トランブル
ヘブライ人への手紙4:15-16
この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、
あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。
だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、
大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。
東日本大震災の津波ですべてを失った人を思わされるような譬えである。
大変な目に遭われたと思うが「一つの光る物」を発見していただきたい。