氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

敗者復活の極意~3

2006-07-03 00:34:47 | 氣に為ること
その後、満州事変を起こし中国東北部を「満州国」とした傀儡帝国を建国し中国
国民にも多大な迷惑を掛ける。
最後には大東亜戦争を起こし東南アジア諸国にも多大な迷惑を掛けた。
当初は連戦連勝で戦線を拡大したが長期の戦争を維持する国力は無かった。

アメリカという工業大国を相手にした太平洋戦線だけではなく東南アジア、南洋
諸島、中国大陸と戦線は拡がりきった・・・
アメリカの戦時体制が確立し効率的な軍事産業が稼動し航空機、戦艦、空母、
戦車などの生産が急増し日本軍への反攻が始まる。
戦線が膠着し持久戦になると脆弱な日本の工業力ではとうてい近代戦争の消耗戦
には耐えられなかった。

ミッドウェー作戦で日本海軍の誇る機動部隊が壊滅的な打撃を受け虎の子である
航空母艦、艦載機、優秀な搭乗員を多数失う事になった。
あらゆる軍需物資の補給や兵員の増強が思うに任せない我が軍に勝ち目は無い。
そして降伏や撤退を赦さない大本営は各地の戦線で悲劇的な玉砕戦を各地で強制
し壊滅する。
人的被害にも耐えられず学徒を動員し武器製造から短期教育の若年兵を特攻要員
に促成した。
世界で始めての近代兵器を使用した自爆攻撃は連合軍の驚愕を招く。
非人道的な「自殺兵器」人間魚雷回天や自爆ボート震洋、自爆ロケット桜花など
を投入するが戦果は上がらなかった。

大都市は新型爆撃機B29の大空襲で壊滅し非戦闘員である無辜の市民が大勢の
命と財産を失った。
沖縄戦で敗れ、広島、長崎に世界初の原子爆弾の攻撃を受け終局を迎える。
無条件降伏を求める連合軍のポッダム宣言を受諾して敗戦し、アメリカを始め
連合国軍の占領を受け敗者の道を進む。
しかし連合国も国民も天皇陛下の戦争責任を求めず国体は護持された。

この時も本土決戦に備えた戦闘要員と武器弾薬、航空機等は占領軍に対する抵
抗、ゲリラ戦などの内戦を遂行するには充分な備蓄が有った。
更に大東亜戦争末期の特攻隊による神風攻撃(世界初の近代兵器による組織的な
自爆攻撃)や万歳攻撃、玉砕、など欧米人には理解不能な狂信的戦いを継続して
来たのです。
サイパン等では非戦闘員である婦女子までがバンザイクリフから投身自決(自殺)をしていた。
満州や沖縄でも非戦闘員の悲惨な集団自決は多数有った。
此れほどの戦闘意欲を持った国民が果たして素直に敗戦を認め占領軍の進駐を許
すのか連合国は疑問でした?

しかし昭和20年8月15日以降の連合国による日本占領軍の先遣隊の恐怖や司
令部の不安と心痛は見事に空振りするのです。
伝家の宝刀の「負け上手」は連合軍には理解出来ませんし考えにも及ばない。
それに当事者である日本人自身誰もが負け上手とは夢にも思っていないでしょう。
「無為自然」に潔く負けを認めるのだと思います。
欺瞞を持って負けを装っても誰もが見破り信用しません。

不思議な事に狂信的(連合国から見て)な旧日本軍は武装解除には素直に応じ
治安状態は良く、抵抗、テロも皆無で、極度な緊張状態に有った占領軍は拍子
抜けした事と思います。
当時は軍隊以外にも日本国中の旧制中学校、高校、大学、青年学校、在郷軍人
会などには軍事訓練用の武器弾薬が常備されていて、国民による組織的な抵抗
やテロ行為は簡単に出来ました。
しかし負け上手な国民は驚くほど従順で平和的だったのです。

天皇陛下の玉音放送を契機に全国民が戦意を無くし敗者の道を受け入れる・・・
こんな奇妙な国家、国民は世界にも稀では無いのか?
「負けるが勝ち」などと禅坊主が良く言いますが本当かもしれません。
負け上手が世界に誇れる日本国の伝統芸かも知れません。
これは皮肉でも厭味でも無く心底からそう思います。

この戦争に勝利したアメリカは勝者でした。
イギリスからの独立戦争に勝利し南北戦争に勝利し不敗のアメリカでした。
ヨーロッパでも連合国を助け第二次世界大戦の勝者と成りました。

第二次世界大戦後の朝鮮戦争では物量に物を言わせ、からくも38度線で停戦に
縺れ込んだ。
敗者である日本経済はメイドインオキュパイドジャパン(被占領下の日本製品)
でアメリカ軍の大量補給物資の基地として勝者アメリカの戦争特需で経済的に
復活の兆しを見ます。