氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

敗者復活の極意~1

2006-07-01 12:02:35 | 氣に為ること
敗者復活の極意「負けるが勝ち」って本当だろうか?

負ける事で勝ち続ける特異な国、我が日本国について書いて見たい。
本当に氣の長~い話しですから連載でしてブログに載せます。

今年、平成18年は初代神武天皇から数えて皇紀2666年とか。
皇統が何千年も継続している国家は世界でも稀であることは確かです。
突然、皇紀や皇統を言い出しても私は右翼でも国粋主義者でも有りません。
どちらかと言えばアナーキスト(無政府主義者)に近いリアリストです。
自由な考えで我が国の歴史と民族性を見た時、不思議な感じがしてとても氣に
なっていました。

何故に2666年もの長期間に渡り独立国家(一時期連合軍に占領された)と
して存在出来たのか・・・
単一民族で島国だから団結し易く他国の侵略から免れたのだろうか?

しかし日本列島は面積に比較して海岸線が長大で防御が難く何処からでも侵略
(拉致も含めて)され易い脆弱さを持っています。
それに加えて日本民族は決して単一民族では有りません。
東アジアの辺境での各種民族の吹き溜まりの結果で混血民族なのです。

朝鮮半島を経由しての北方騎馬民族や種々の手工業を持つ渡来人達、黒潮に乗
って北上してきたマレーポリネシア系海洋民族、氷結した沿海州を徒歩かソリ
で北海道へ渡来したツングースク(女真人、満州人)などの異人達。
彼ら異人種と土着縄文人との混血人が現在の日本人のルーツであることは容易
に想像できます。

古事記や日本書紀が伝える神武天皇による大和朝廷成立(紀元前660年)が天皇
家の皇祖なら皇紀2666年は其処から始まることに成ります。
途中の3世紀には卑弥呼で有名な邪馬台国も有ったことは確かであり、もっと
前には出雲王朝や吉備王朝などが有った事が国譲り神話などに出て来ます。
何れも征服平定された敗者です。
国譲り等は典型的な敗者から勝者への国の収奪でしか有りません。
種々の敗者を取り込んで大和朝廷は成立したというのが私の見方です。
大和朝廷成立後も熊襲や蝦夷など平定された敗者を取り込み皇統は続いていると
考えることが出来ます。

時代は飛んで鎌倉幕府が武家政治を担いますが天皇家は滅ぼされる事は有りませ
んでした。
武家の統領が天皇家から征夷大将軍という位を任命される事に成り朝廷(敗者で
実権は無い)を取り込みました。
もっとも南北朝に朝廷が分かれて成立した時が有りましたが、つかの間武家が
天皇と言う神輿を二基担いで覇権を狙っただけの事です。
しかし決して日本を南北に二分割して統治したのでは有りません。
全国的な内戦や内乱状態は上手く避けられたのです。
敗者を上手に取り込み吸収したのです。
蒙古軍にも再度来襲されますが幸運にも侵略されませんでした。

疾風怒涛の戦国時代の最終的勝者である徳川家康が幕府を成立し、やがて鎖国
の時代を迎えます。
秀吉存命の家康雌伏の時代は無体な領地変えで未開の地である関東へ行かされ
江戸を開く。
其の時点での家康は敗者に近い存在でした。
秀吉の誤算は「豊臣」という新しい姓を朝廷に認めさせ「源氏」を名乗らなか
ったからではないだろうか?
武家の統領である「源氏長者」にはなれませんでした。

秀吉の死後、二度の大阪攻めに勝利し関ケ原の戦いで最終的な勝利を得ます。
家康は信長や秀吉の失敗を教訓として「源氏長者」に成り朝廷を懐柔して征夷
大将軍に任命され武家の統領と成ったのです。

それに海外交易の利益の莫大な事にも気付いていました。
朱印貿易で豪商と成った交易商人や大名の交易による利益も徳川家の為に封印
します。
鎖国と言っても幕府以外の大名に貿易を認めなかっただけで幕府は海外交易と
莫大な利益を独占します。
しかし薩摩や肥前、長州の西国大名は密貿易で海外との交易は継続します・・・

関ケ原の戦いで敗者に成った西国大名の敗者復活戦が明治維新なのです。