かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

感謝祭H24

2012-11-11 12:06:49 | 田舎の生活
 本日は予報通りあいにくの雨。
そんな中、地区の神社で午前9時より恒例の「感謝祭」神事が行われた。
地区役員を含めて参列者9名。
雨のせいであろう、打ち鳴らされる太鼓の音は鈍い。


       【11月10日撮影】


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僕の心細道(151:ネパールⅢ編-第七章)

2012-11-09 14:49:04 | 旅行
-5日目(1992年12月30日)-
6:30起床
カメラの準備をして、ロッジから東へ少し歩いたところでスタンバイ。
夜明け前の空気は冷たく、カメラを持つ手が冷える。

村を見下ろすように立ちはだかるクワンデKwangde(6,011m)の稜線に朝日が当たり始めた。





【クリックで拡大】


     【ナムチェ・バザールのメインストリート】

8時前から朝食が始まる。
プレーンのおかゆ、目玉焼きあるいはゆで卵、そしてパン。
ネパール・トレッキングの朝食はおかゆのことが多く、ほとんど味がない。
そこで、私は日本からウメボシ、ふりかけ、フキの漬物を持ってきていた。
これが同行の皆さんに好評であった。

食事を終え、8時半頃に出発する。
いきなりナムチェ・バザールの村をどんどん上る。




100mほどの高さを上ってからは、今度はほぼフラットな道になり、一気にエベレスト方向の展望が開けてきた。

そして、山腹を巻くようにほとんどフラットな道をトラバースすることになる。



やがて、初めてアマ・ダブラム(6,812m)が頭をのぞかせる。

      【写真右端】

かなたにはエベレストも見えている。



【クリックで拡大。右のピークがローツェ(8,516m)、左がエベレスト】

どんどん上流へ進み、ぐんぐんアマ・ダブラムが近づいてきて、やがて両肩が見えてくる。

【クリックで拡大】

見ることをとても楽しみにしていた山である。
アマ・ダブラム”とは、“母の首飾り”という意味だそうだが、
想像力の乏しい私には、どういう風にみればそう見えるのかよくわからないままであった。
とはいえ、カッコいい立ち姿である。

見とれながら、立ち止まっては写真を撮るので、みんなからどんどん遅れていく。
でもこのペースが自分にはグー であった。


11時頃ロッジに着いたのだが、昼食かと思ったら、ここは休憩のみだった。
道沿いの赤色の低木は、シェルパ語で“チェムディン”といい、赤色の実は食べられるとガイドが教えてくれた。
枝には所々に棘があり、細長い1センチほどの実を食べてみると、少し酸っぱみがあり、子供の頃よく食べた“しゃしゃぶ”といった感じであった。


休憩場にはトレッカー目当ての露店が出ている。

しばし休憩した後、徐々にドゥードゥ・コシに下りていく。
緩やかな道が続いていたが、ここで下りる道にかわった。
アマ・ダブラムは見えなくなってくる。
ネパールのトレッキングでは、こういう風に、何度も谷まで下ってはまた上るというパターンが多いので、何だか損をした気分になる。

下りきったところで、ドゥードゥ・コシを渡ると、


正午過ぎプンキPhunki(3,250m)のロッジに着き、ここでランチとなった。





今日のランチはライスとスープ。


       ≪つづく≫

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「家紋」その4:鷹の羽

2012-11-06 10:40:06 | その他


この家紋を見た時は、矢羽だろうと思ったのだが、
検索しても該当するものがなかった。
それで、とりあえず日本十大紋の中からローラーしてみてわかった。
「鷹の羽」とのことだ。

古来より武家にとても人気のあったシンボルのようで、デザインのバリエーションも豊富だそうだ。
当地区の家紋でも「茗荷」、「橘」に次ぐ第3位の人気ぶりである。
その中でも、羽根を交差させた「違い鷹の羽」系の人気が高いようだ。
当地区に見られる家紋もすべて「違い鷹の羽」で、かつ外側に円(丸)のあるものばかりだった。
細かく言えば、「丸に違い鷹の羽」となるようだ。





そんな中、一部に左右の羽根の交差の仕方が逆になった紋章があった。


こちらは「右重ね違い鷹の羽」と呼ぶそうだ。


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「家紋」その3:橘

2012-11-03 14:19:17 | その他
当地区の家紋を調べてみたところ、「抱き茗荷」が圧倒的に多く、次に多いのが「橘」であった。
全体の2割近くが「橘」の家紋である。



えらそうに言っているけれど、この家紋を見た時は植物だろうということはわかったが、それ以上わからず、「日本十大家紋」でネット検索してみてやっと「橘」だとわかったというしだい。



デザイン的にはほとんど差がないが、ひとつだけ周囲に丸のないものがあった。


上記以外はいずれも「丸に橘」である。







とはいえ、細部で微妙に異なっているものが多く、
一部はなんだか微笑ましく見えるものもある。


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僕の心細道(150:ネパールⅢ編-第六章)

2012-11-01 14:14:12 | 旅行
-4日目のつづき-
12時出発  
モンジョで休憩・昼食を済ませたあと、サガルマータ国立公園管理事務所で入園手続きをする。
ガイドが入園料を払う等の手続きをしてくれたのだろう。
その間、にぎやかなイタリア・トレッカーの集団が我々を追い抜いていった。





しばらくドゥード・コシの左岸側の道を進むと、やがて木製の吊り橋が見えてきた。
けっこう揺れるのでおっかなびっくりで渡る。
私はどうも吊り橋が苦手だ。


渡り終えて少し進むと、道は河原へ下りてしまった。



この時期ネパールは乾季だから、こういうルートもありなのだろうが、
雨季で、洪水が来たら一瞬で行き来できなくなる。




たくさんのゾッキョを連れた村人とすれ違う。
こういう場合は、当然ながらゾッキョに道を譲る。
ゾッキョの背中には大きな荷物。

ゾッキョは、雌のヤクと雄の牛のハーフだということは前回書いたが、
逆に雌の牛と雄のヤクのこどもでは、水牛の性質を多く受け継いで余り性能が良くないらしい。
標高の高い場所でしか生きられないヤクがより低い場所も活躍できるように生み出されたのだそうだ。
昔から交易を盛んに行っているシェルパ族の生きる知恵である。
そんなゾッキョを眺めながら、前方を見やると、高さ30mはあろうかと思う吊り橋が眼に入った。


うーん・・・これを越すのか!

橋にとりつく。


けれどもこの橋は心配したほどの揺れはなかった。なんでもスイスと合同で作ったらしい。
橋を渡りきると、いよいよナムチェ・バザールへ向けての急登が始まる(高度差約500m)。
上り始めて少しすると、谷の間、かなたにタウチェ(6,542m)が見えてきた。




【クリックで拡大】

階段状の急登かと思ったら、ジグザグの坂道が続く急坂だ。
高度も3000mを超したので、ゆっくりゆっくり。

途中初めてヌプチェ、エベレストが見えてくる。


生まれて初めて肉眼で見る世界最高峰に・・感動! 


【クリックで拡大:左:ヌプチェ(7,896m)、右:エベレスト】

2時頃エベレストビュー・ティーショップに到着。
先発の日本人グループは既に着いていた。
ここで一休みとなり、チャーイ(ミルクティー)をいただく。

2:20出発。しんどいので坂道をゆっくりゆっくり上る。


ナムチェ・バザールNamche Bazarの集落が見えてきた。


あと一息だ。

3時半、本日のロッジ到着(Kuhnbu Lodge)。
標高は3,440m。
疲れたぁ~。



ナムチェ・バザールで一番立派なロッジだとのこと。
3階食堂、2階が我々グループのベッドルーム。



太陽が傾き、霧が出ていたのだが、夕方になり霧が次第に晴れてきた。
夕陽に照らされナムチェ・バザールの集落を見下ろすタムセルク(6,608m)を鑑賞する。


【クリックで拡大】

しばしば霧で隠れたりするが、これも「いとおかし」。


午後5時になると、すぐ近くで時を知らせる鐘の音が響いてきた。

6時過ぎから夕食は、
焼き飯、大きな春巻き、スープ   お腹いっぱい。
皆さんは余力ありか、デザートにスイーツをいただいている。
8時半就寝


       ≪つづく≫


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