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言われてみれば、子供の頃この峠に行った時、なにか石碑があったような、くらいの記憶はかすかにありました。
2mあまりの大きな1枚岩に「奉納大乗妙典六十六部日本廻国満願供養塔」と刻まれており、その文字は今でもくっきりと残っています。
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「回国供養とは、釈迦如来が亡くなってから56億7000万年後に弥勒菩薩が現れて私たち衆生を救ってくれるその時まで、大乗妙典と呼ばれる法華経を保存する目的でわが国の66ヶ所の霊場に納経して回ることをいう」のだそうです。
想像を絶します。
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その全国66箇国の霊場に法華経を書写して納めた人々のことを、“六十六部回国聖”あるいは“六部(ろくぶ)”と呼んでいたそうです。
私なんぞ、とても出来そうにない、とんでもなく篤深い方々でしょうか。
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そして、彼らの残した“回国供養塔”は全国に残っているようです。
すごいです!
この石碑には建立された日付も見られます。
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文政11年(1828年)3月21日とあります。
3月21日というのは、空海(弘法大師)の命日のようです(没年西暦835年)。
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右側には、「本願主 当浦 林平」とあります。
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「はやし たいら」さんではないでしょう。
この当時は、一般人は苗字がないので、たぶん「りんぺい」さんなのでしょう。
そして、「当浦」とあるので、きっと当名取地区の方だったと思われます。
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苗字がないのでわかりませんが、この方の子孫はどの家になるのだろうか?
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なんて・・・
その他石碑には、世話人、施主、大工、立合人などの名前も刻まれています。
驚くことに、全国各地の方が立合人などに名前を連ねています。
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江戸、信州、濃州、作州、紀州、駿州、豊州、備前、甲州、越前、日州、筑後、當国、長崎、筑前 と。
この石碑の建つ場所は、「ウラゴエ」と呼ばれる峠で、当地区のはずれ?
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ウラゴエ=浦越 なのでしょう。
昔、集落を「浦」と称していた頃、浦と浦の境界、すなわち名取浦と三崎浦の境界にある峠、その峠を越えることは、“浦”を越えるという意味で、「ウラゴエ」なのだろうと思います。
子供の頃は、この峠を通って三崎のお祭りなどにへ行っておりました。
そして、多くの高校生たちにとって、この峠が通学路だったでしょうし・・、
季節は忘れましたが、年に1回ここで祭りもありました。
たしか、ちょっとした広場もありました。
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そんなにぎわったこともある道も今では藪になり、倒木などもあり、今ではこの峠を通る人はいないようです。
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【峠を越えるかつての街道です】
かつて、半島を縦断する幹道の要所であっただろうと思われるこの峠も、
今は草ボーボー、雑木ニョキニョキとなりました。
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村人たち、いやいや 当時この半島を往来した多くの人々の夢の跡 でしょうか。
今は、ひたすらひっそりとしております。
それにしても、こんな大きな石を(きっと)人力でこの峠に運んできただろうエネルギーって、
なんなのでしょう。
すごいです!
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