松井、引退表明=「結果出なくなった」―日米20年、プロ生活に終止符(時事通信) - goo ニュース
今朝、「松井選手引退」のニュースが流れた。
「ワールドシリーズで勝つために」との目標を掲げて、2003年ヤンキースに入団した松井選手。
入団1年目で早くもその夢が実現かと思われた。
アメリカン・リーグ優勝決定戦でのレッドソックス戦。
3勝3敗で迎えた第7戦、2点差で迎えた9回裏。
苦手としているP・マルチネス投手から松井がヒットを打ってつなぎ、続くポサーダがライト線にヒットを放ち2者帰り同点。
この時ホームインした松井がみせたジャンプしてのガッツポーズは、印象深い。
よほど嬉しかったのだろう。
そして、延長に入りヤンキースがサヨナラ勝ちをおさめる。
しかし、Wシリーズでは相手マーリンズの若きエース・ベケットをヤンキース打線が打ち崩せず2勝4敗で夢は叶わなかった。
その後、毎年プレー・オフに進出するもWシリーズには届かなかった。
そして、2008年にはプレー・オフにすら進出できなかった。
この間、松井選手は手首、ひざの故障に泣かされる。
夢はかなえられないのだろうか・・・
そんな悔しい思いの中、翌2009年、ヤンキースは6年ぶりにア・リーグを制してWシリーズに勝ち上がった。
相手は2連覇を目指すナ・リーグ最強のフィリーズ。
この時のこのチームには、あのP・マルチネス投手が移籍していた。
が、松井は第2戦で、マルチネスの投じた内角低め(見逃せばボールか?)のカーブを見事にとらえて、勝ち越しのソロ・ホームランを放つ。
続く第3戦8回表、代打で出た松井は外寄りのストレートをレフトスタンドへ運んだ。
こうして、3勝2敗で迎えた第6戦。
2回裏、松井が2ランホームランをたたき込み、ヤンキースが先制する。
その後、松井は2点タイムリーを2本放ち、ヤンキースがあげた7得点のうち、6打点をたたき出した。
ヤンキー・スタジアムは松井選手に魅せられた。
そして、リベラが最後の打者をセカンドゴロに打ち取った瞬間、
松井選手の夢はかなえられた!
しかも、日本人選手初のMVPという勲章もつけて。
このシリーズでは、松井選手は一度も守備の機会が与えられなかった。
ひざに爆弾を抱えながら、相手本拠地試合では代打に甘んじた。
そんな状況の中、松井選手は集中力を切らさず、素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。
幸い、2006年アスレチックスとの開幕3連戦で、松井選手の勇姿を目の前にすることができた。
2本のホームランを目の前で見ることができた。
思えば、高校野球甲子園での全打席敬遠。
あの強烈な印象から20年。
お疲れ様でした。
そして、夢をありがとう!
ご訪問ありがとうございます。
「プチッ」と応援 感謝
今朝、「松井選手引退」のニュースが流れた。
「ワールドシリーズで勝つために」との目標を掲げて、2003年ヤンキースに入団した松井選手。
入団1年目で早くもその夢が実現かと思われた。
アメリカン・リーグ優勝決定戦でのレッドソックス戦。
3勝3敗で迎えた第7戦、2点差で迎えた9回裏。
苦手としているP・マルチネス投手から松井がヒットを打ってつなぎ、続くポサーダがライト線にヒットを放ち2者帰り同点。
この時ホームインした松井がみせたジャンプしてのガッツポーズは、印象深い。
よほど嬉しかったのだろう。
そして、延長に入りヤンキースがサヨナラ勝ちをおさめる。
しかし、Wシリーズでは相手マーリンズの若きエース・ベケットをヤンキース打線が打ち崩せず2勝4敗で夢は叶わなかった。
その後、毎年プレー・オフに進出するもWシリーズには届かなかった。
そして、2008年にはプレー・オフにすら進出できなかった。
この間、松井選手は手首、ひざの故障に泣かされる。
夢はかなえられないのだろうか・・・
そんな悔しい思いの中、翌2009年、ヤンキースは6年ぶりにア・リーグを制してWシリーズに勝ち上がった。
相手は2連覇を目指すナ・リーグ最強のフィリーズ。
この時のこのチームには、あのP・マルチネス投手が移籍していた。
が、松井は第2戦で、マルチネスの投じた内角低め(見逃せばボールか?)のカーブを見事にとらえて、勝ち越しのソロ・ホームランを放つ。
続く第3戦8回表、代打で出た松井は外寄りのストレートをレフトスタンドへ運んだ。
こうして、3勝2敗で迎えた第6戦。
2回裏、松井が2ランホームランをたたき込み、ヤンキースが先制する。
その後、松井は2点タイムリーを2本放ち、ヤンキースがあげた7得点のうち、6打点をたたき出した。
ヤンキー・スタジアムは松井選手に魅せられた。
そして、リベラが最後の打者をセカンドゴロに打ち取った瞬間、
松井選手の夢はかなえられた!
しかも、日本人選手初のMVPという勲章もつけて。
このシリーズでは、松井選手は一度も守備の機会が与えられなかった。
ひざに爆弾を抱えながら、相手本拠地試合では代打に甘んじた。
そんな状況の中、松井選手は集中力を切らさず、素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。
幸い、2006年アスレチックスとの開幕3連戦で、松井選手の勇姿を目の前にすることができた。
2本のホームランを目の前で見ることができた。
思えば、高校野球甲子園での全打席敬遠。
あの強烈な印象から20年。
お疲れ様でした。
そして、夢をありがとう!
ご訪問ありがとうございます。
「プチッ」と応援 感謝