かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
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“鉄腕”稲尾さん死去

2007-11-14 10:28:39 | 

あの大投手・稲尾和久さんが昨日、悪性腫瘍のため亡くなられた。享年70歳。

稲尾さんといえば、日本シリーズでの3連敗後の4連勝の立役者、そして、1シーズン42勝などの大記録が思い浮かぶ。西鉄ライオンズのエースとして活躍し、黄金時代を築いた方だ。残念ながら、私はその頃リアルタイムでは彼の活躍を見た記憶がないが、野球好き小僧として、それらを伝説のように聞いている。とにかく、彼の記録は驚くばかりだ。(野球に興味のない方は、何のことかお分かりにならないだろうけれど・・・)

まず、1956年に19歳でプロデビューして、いきなり21勝を挙げ、防御率1.06。翌年20連勝で、シーズン35勝。そして、1958年に2年連続MVPを獲得して、日本シリーズでは、冒頭に書いた4連勝で、とうとう「神様 仏様 稲尾様」になった。この時の日本シリーズで、稲尾投手は、7試合中6試合に登板、うち5試合に先発、4試合完投という、信じられないような活躍をしている。他に投手はいなかったのだろうか、と思ってしまうが、それほど彼は絶対的な強さを持っていたのだろう。 

そして、1961年24歳のシーズン、彼は42勝を挙げる。この年の登板試合数は78試合、投球回数は404イニングとある。これはめちゃくちゃな数字である。例えば、年間試合数を150試合として、5試合に1回登板して全て完投したとしても、登板試合数は30試合、投球回数は270イニングにしかならないので、いかにとんでもない数字かということがわかる。42勝は彼以外にはいないだろうと思っていたが、戦前、スタルヒン投手も42勝したことがあるようだ。この時代は、今のように投手の分業制がなかったので、稲尾投手が先発しなくても、勝てそうな試合だと途中からリリーフで彼が登板したことがあるのだろうが、それにしてもすごすぎる。

そして、1962年25歳の若さで、通算200勝を達成している。またこの年、月間最多勝11勝を挙げている。プロ7年間で200勝だから、とんでもないスピードだ。これだけ酷使すれば、体力の消耗も早いだろうと思ってしまう。翌年の28勝を最後に、勝ち数は下がり、そして、1969年32歳の若さで、数々の伝説を残して現役を引退する。通算276勝、通算防御率1.98。

稲尾さんのご冥福をお祈りいたします。



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