地区の無人のお寺で甘茶がふるまわれた。
桶に入った甘茶をひしゃくですくって、小さな釈迦像にかける。
そして、ペットボトルに入れて持ち帰る。
昔ながらの春の行事だ。
「天上天下 唯我独尊」
このポーズは、釈迦が生まれた時、七歩歩いて右手で天を指し、左手で地を指して言ったという伝説からうまれたものだ。
一般に「唯我独尊」というと、「世の中で自分ほどえらい者はいない」といったように「自己中心」とか「傍若無人」というような意味で使われることが多い。
しかし、釈迦が説いたのはそういう意味ではなく、
この「我」というのは、決して釈迦自身だけのことを言っているのではなく、人間一人一人のことだそうで、
「独尊」とは、たったひとつの尊い使命ということで、決して自分一人が偉いのだということではない と。
だから、「天上天下 唯我独尊」とは、
天上天下広し といえども、
この世の中でみんなそれぞれにお互い自分というものは、かけがえのない尊い存在であり、かけがえのない尊い命であり、
その尊い使命を果たすべく、この世に生まれてきたのだということだそうだ。
ところで、甘茶は胃の機能を改善し、血行を良くするといわれているようだ。
そのほかにもいろいろ効能がありそうだ。
そういえば、子供の頃、ムカデに刺されたとき、甘茶を塗っていたような記憶が・・・・・
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一般に「唯我独尊」というと、「世の中で自分ほどえらい者はいない」といったように「自己中心」とか「傍若無人」というような意味で使われることが多い。
しかし、釈迦が説いたのはそういう意味ではなく、
この「我」というのは、決して釈迦自身だけのことを言っているのではなく、人間一人一人のことだそうで、
「独尊」とは、たったひとつの尊い使命ということで、決して自分一人が偉いのだということではない と。
だから、「天上天下 唯我独尊」とは、
天上天下広し といえども、
この世の中でみんなそれぞれにお互い自分というものは、かけがえのない尊い存在であり、かけがえのない尊い命であり、
その尊い使命を果たすべく、この世に生まれてきたのだということだそうだ。
ところで、甘茶は胃の機能を改善し、血行を良くするといわれているようだ。
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そういえば、子供の頃、ムカデに刺されたとき、甘茶を塗っていたような記憶が・・・・・
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