かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

石仏・石塔見て歩き(18:水神さまではなかろうか)

2011-04-24 13:47:53 | 田舎の歴史
我が地区に簡易水道施設が整備されたのは昭和30年。
それまでは、井戸水(共同井戸)や谷川の水に頼っていた。
ここは、その当時湧水を溜めていた共同井戸のひとつであろう。



ここに溜まった水は、長い間集落住民の貴重な生活用水となっていたはずだが、
いまはその役目を終え、水が枯れ、草が繁茂して荒れている。 
傍らにお地蔵さんがいる。




蓮華台座にのり、手には宝珠を持っておられる。
きっとこの水源をずっと見守り続けてきたのだろうから、
水神様ではなかろうか と思うのだが、
正面に刻まれた文字が風化で読み取れなくなっている。 
さらに二つに割れている。


側面には、「天保元年」(1830年)と刻まれている。
さらに続けて、「卯 三・・」とあり、「卯年三月」のことと思われる。
ところが、手持ちの「日本史辞典」を開いてみると、
天保に改元されたのは12月10日とあるので、元年に3月はありえない。
しかも「卯」とある。
「天保元年」は寅年であり、卯年はその翌年である。
ということは、これは正確には「天保2年」ということだろうか?

まあ、そんなことであったとしても、このお地蔵さんの存在が傷つくわけではない。
この共同井戸は、簡易水道が整備されてからもしばらくはその役目を存分に発揮していたのである。

井戸の近くには、今は草や蔓に覆われたこの小屋が残る。 


ここにはポンプが設置され、共同井戸に溜まった水をポンプアップして、
各家庭に水道水を供給してきたのだ。

小屋の中をのぞいてみると、


今もそのポンプ設備が残されている。
共同井戸とポンプは、平成8年度に野村ダムから農業用水と上水道水が供給されるまで活躍したはずである。
今はその役目を終え、残された石仏を訪れる人も もういないだろう。

時の流れか・・・・


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