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サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

本物の才女/頼近美津子(元アナウンサー)/53歳

2009年05月22日 | 毎日がメメント・モリ

頼近美津子さん死去!食道がん闘病2年…早すぎる53歳


5月20日8時1分配信 スポーツ報知


 テレビのニュース番組などで活躍した元アナウンサーの頼近美津子(よりちか・みつこ=本名・鹿内キャサリーン美津子)さんが17日午後1時46分、心不全のため千葉県内の病院で死去した。享年53歳。2年前から食道がんの診断を受け、4月13日に体調を崩して入院していた。19日、都内で近親者のみで葬儀が営まれた。喪主は長男・鹿内雅雄(しかない・まさお)さん。後日、お別れの会を開く。

 所属事務所などによると、頼近さんは2年前に人間ドックで食道がんと診断。声帯を守るため、手術を避け、抗がん剤治療を続けていた。4月13日に体調を崩して入院し、今月15日に肺炎併発で容体が急変。2人の息子やフジテレビ時代の関係者ら、親交の深かった人に見守られる中、息を引き取った。本人の希望で延命治療はなされなかった。

 頼近さんは体調を崩す3日前の4月10日まで仕事をしていた。連載を持つピアノ専門誌「ムジカ ノーヴァ」(20日発売)で、音楽教育家との対談が最後の仕事だった。対談に立ち会った関係者によると「普段と変わらず元気な様子だった」という。音楽に造詣が深くクラシックコンサートの企画・プロデュースも手掛けた。3月16日には、東京オペラシティでのチャリティーコンサートの司会など、精力的に取り組んでいた。

 頼近さんは78年NHK入局。80年には「ニュースワイド」の司会者に抜てき。このころから“美人キャスター”として一躍人気を集めるようになったが、81年フジテレビに契約キャスターとして移籍。年収は300万円から1200万円に跳ね上がったともいわれ、現在のフリー転向の流れの先駆け的存在でもあった。

 フジテレビでは「小川宏ショー」やニュース番組のキャスターなどを担当。84年には、フジサンケイグループ初代会長、鹿内信隆氏の長男で当時フジテレビ副社長だった鹿内春雄氏と電撃結婚。そのまま引退したことでも大きな注目を集めた。

 88年に春雄氏が亡くなった後、古巣NHKの番組「名曲音楽館」の司会者として復帰。96年にはNHK大河「秀吉」で女優デビューするなど才能豊かに幅広く活躍。華やかで波乱に富んだ人生だった。

 ◆頼近 美津子(よりちか・みつこ=本名・鹿内キャサリーン美津子)1955年8月1日、広島・府中生まれ。祖父・祖母が在米日系1世で父・健二さんも米国生まれのため、ミドルネームが付けられた。東京外語大英米語学科卒。78年、競争率600倍の難関を突破してNHK入局。81年、フジテレビに移籍。結婚後に引退したが、92年に活動を再開した。

女子アナアイドルあるいはフリーアナウンサーのハシリみたいに言われることがあるが、頼近美津子は正真正銘のお嬢様であり、音楽をふくめて才女であり、美形であり、またアナウンサーとしてもしっかりしていた。
だから、僕たちの印象では、ここ20年ほどの有名女子アナなどと、まさにランクが違って存在していたのだ。
近頃のように、女子アナが道化をさせられる前の話であるが・・・。
フジテレビに移籍後たった3年で、フジテレビの鹿内家の御曹司である春雄氏と結婚し、引退した。
とんでもない玉の輿であったようにも見えるが、これを機に、フジテレビグループと鹿内家の権力闘争に巻き込まれることになり、春雄氏急死のあとは、相当な辛い目にあってきているようだ。
このあたり、鹿内家一族のなかにも、また結局のところ、鹿内家と断絶したフジテレビグループのお偉いさんのなかにも、本当のところは枕を高くして寝れない連中たちがいるはずだ。
結局、春雄氏急死の後、美津子夫人から巻き上げた所有株が、まわりまわってホリエモンの事件にも、つながっている。
彼女は彼女なりに、自分の選択に、最後まで意地を通したところがあるのだろう。
それはそれで、権力闘争にうつつをぬかすフジテレビグループの歴代の経営を担ってきた男どもと較べても、見事な生きかたであったのかもしれない・・・合掌!



 

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