ドキュメンタリーとしてテレビ放映され話題を呼んだ、大阪の小学校の新任教師による実践教育を基に映画化した感動作。1年間大切に育ててきたブタを食べるかどうかで大論争を巻き起こす子どもたちの、うそ偽りのない表情にカメラが肉迫する。『涙そうそう』の妻夫木聡が教師役に初挑戦し、子どもたちと素晴らしいコラボレーションをみせる。大切な命をどうするかという結論を自らの力で出そうとする生徒たちの姿勢が、痛いほどダイレクトに伝わり心打たれる。[もっと詳しく]
いのちに触れる実践授業が、巻き起こしたことなど。
『ブタがいた教室』は小学校の新任教師であった黒田恭史が(まだ総合的学習時間の枠がなかった頃なのだが)、「ブタを飼って、飼育した後、自分たちで食べる」という実践授業を1990年から2年半、およそ900日にわたって32人の生徒に行った授業を基にしている。
その授業の様子は、ドキュメンタリーとして93年に放映され、反響を巻き起こし、いくつかの賞を手にすることにもなった。
テレビなどでこの授業のことを見聞したことはあるが、ドキュメントそのものを僕は見ていない。
黒田恭史の授業は、教育界では有名なことであるが、彼自身が体験した鳥山敏子の『いのちに触れる』という実践学習を踏まえた形で、考案されている。
鳥山敏子は1941年生まれ。
彼女が教育者として、物議をかもしたのは、39歳の時の「ニワトリを殺して食べる」という実践授業に因している。
これはその後の屠畜体験学習の先駆けともなり、彼女はその後「ブタ一頭丸ごと食べる」という授業で記録映画ともなり、テレビで紹介されたりもしている。
僕が鳥山敏子の名前を知ったのは、ずっと遅れて1994年、彼女が「賢治の学校」を開校したことによる。
宮澤賢治に傾倒し、宮沢賢治の教え子だった老人たちへの聞き取り調査などをDVD映画という形でも報告にまとめ、ついに職を辞して、「賢治の学校」開設に至ったのである。
当初はワークショップのかたちで研鑽を続け、「東京・賢治の学校」として校舎を持ったのは2000年のことである。
その後も、全国の「教育」や「食育」や「環境」や「いのち」にかかわるセミナーなどで、「賢治の学校」のクレジットを目にすることが多くなった。
鳥山敏子の「ニワトリ(ブタ)を殺して食べる」という授業については当時から多くの批判も浴びせられている。
「動物愛護」という視点からの批判者もいれば、子どもたちに与えるトラウマからの批判もあったし、はたして小学校の「授業」という場で、半ば強制的にそういう学習を経験させることに意味はあるのかという批判もあった。
そういう批判のなかで、一番まともな批判に思えたのは、村瀬学による「生き物のいのちとあなた」と題する鳥山敏子批判である。
僕は村瀬学の障害児論や、心的現象論や、吃音論などに共鳴するところがあったので、一連の著作を読んでいたのであった。
ここで、村瀬学は鳥山敏子批判を、彼女のある意味ファナティックな「危険な観念論」として指摘しており、これは凡百の「動物が可哀想」批判とは一線を画しているものだった。
『ブタがいた教室』のモデルとなった黒田恭史の思想は、鳥山敏子の方法とどこが同じでどこが異なるのか、僕には専門的なことはわからない。
けれど、この「ブタがいた教室」という作品で「追体験」する限りで言えば、子どもたちに問題提起をし、実際に豚を飼育し、そこでPちゃんという愛称も与えた上で、子どもたちに時間を掛けて、討論をさせ結論を子どもたちによって出させていくという遣り方をとったことは、それなりに考え抜いた彼の方法であったのではないかと思われる。
鳥山敏子の「ニワトリを殺して食べる」という実践授業では、河原に集めた生徒や父兄の前で、いきなりもらいうけたニワトリを放し飼いにして、「おおい、集めれ!ニワトリ狩りだよ!」と号令をかけ、次のようなシーンが繰り広げられたのである。
「さあ、中村さんに、にわとりのつぶし方を教えてもらうから、よくみてて」
中村さんは、にわとりの首をきゅっとひねった。子どもたちも親たちも思わず顔をそむける。ぐにゃっとなったにわとりの両足をおさえ、首の毛をむしり、包丁をあてた。「いやだ!」「こわい!」。ぐっと力が入れられた。血がドクドクとふきでる。頸動脈を切断された首がブランとなったが、にわとりのからだは最後の力をふりしぼってあばれる。その生命力のすごさに身がすくむ。さかさまにつるして血を出す。ドクドクとわきでるまっ赤な血。それでもにわとりはあばれつづけた。
やがて、おとなしくなった。死んだのだ。じゅうぶん血を出しきったところで、湯のわきたっているなべにさっと入れて、とり出した。とさかも目も黄色く白く変色していた。わたしたちをうらんでいるような目だ。わたしは、呆然と立って凝視している子どもたちや親たちに声をかけた。「さあ、みんなで毛をむしって!むしった毛はビニール袋にいれて、散らかさないように」いやがる子どもや親の心をはねかえすように、事務的な口調でいった。つき動かされた親子は、羽をむしりはじめた、こわごわと。むしりとっていく羽の下にみえてくるものは、いつも店頭で目にしているあの鶏肉である。
鳥山敏子『いのちに触れる』太郎次郎社1985
現場に立ち会ったわけではない僕にも、このときの鳥山敏子がなんだか「いのち」に対する敬虔な感謝を捧げるということよりは、血走った目で狩猟を疑似体験するといったような情景が、浮かばざるを得ないのである。
黒田恭史がこの映画の中で妻夫木聡扮する星先生の、子どもたちの反応を信じ、その結論いや結論に至る過程そのものを最大限尊重しよう、そして学校内で生起する軋轢・抵抗に対しては、新人教師であろうとも、自分が身体を張っていこう、といった教師像とそれほど脚色されていないと仮定するならば、なかなか見事な立ち振る舞いであり、少なくとも「危険な観念論」が現場に一方的に、露出しているとは感じられない。
ここは黒田恭史なりに、鳥山敏子をある面で止揚しようとしたのではないかと、勝手に想像したくなるところである。
『ブタがいた教室』という作品で前田哲監督が細心の注意を払ったことは、ドキュメンタリーでもなくフィクションでもない制作方法を、オーディションから選ばれた26人の子どもたちのリアリティと制作過程を往還させるというやりかたで、編み出したことのように思える。
この作品の脚本は「子どもの脚本」と「大人の脚本」の2種類が用意され、「子どもの脚本」にはセリフが白紙で渡されたという。
出演の子どもたちは、実際に生活を共にし、豚を飼育し(撮影用には赤ちゃん豚から成人豚まで22頭が用意された)、テーマを与えてディベートをさせ、その発言や個性と実際のセリフをリンクさせていったのである。
最後に「豚を食べるのか」「豚を食べないのか」の票数は真っ二つに別れる。
卒業の時間は近づいてくる。
結論を先延ばしには出来ない。
どちらの意見のグループも、精一杯考え、つかみあいの喧嘩にもなり、涙をいっぱいためて自分なりのPちゃんの存在に真摯に向き合おうとする。
僕は自分の息子の小学生当時の優しげな性格のことなど思い浮かべ、「この教室に彼がいたなら、どういう反応をするのかなぁ」などと、思わず考えてしまったりもした。
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僕も、カエルの解剖も逃げ出したし・・・。
サバイバル生活では、まるで、無能な男になりそうです(笑)
といった次第で、一度でも触れた動物を食べるなんてのは論外だなあ。
>鳥山敏子
不勉強で全く存じませんでしたが、その教育に何の意味があるのか全く解りません。
その意味では、黒田恭史氏の考えはまっとうだと思います。
でも、僕ならそんな教室からは逃げて登校拒否しちゃいますよ。(笑)
黒田さんにはお会いしたこともないし、TVのドキュメントも見ていないんですけどね。
なんとなく、僕は、彼の思想や方法論というものが、気になってしまうんです。
そうか、関西は・・・(笑)
なんとなく、わかるような気はしますね。
レビューを参考にさせていただきます。
>ここは黒田恭史なりに、鳥山敏子をある面で止揚しようとしたのではないかと、勝手に想像したくなるところである。
確かにそう感じます。
実話はどうなったのかわかりませんが、少なくとも映画ではそれなりに納得できるラストでした。
特に梅田と神戸は圧勝だったとか。
これも関西人気質なんでしょうかね?
禁止ワードが結構あるんでしょうね。
余計なお世話なんですけどね。
僕のこのレヴューでいけば、鳥山さんのご著書からの引用文のところが、なんかホラー殺人を連想させるような語句に満ちているから・・・かも(笑)
こんにちは!
実はこの記事、gooのブログにははじかれまして・・・。せっかくTB頂いたのに、やはり
だめでした。時々このようなことが起こります。
禁止ワードがあるのか?その辺良くわかりません。
命の尊さをあのような画期的な発想で教える
学校教育、なかなかないでしょうね。意外に
教育の現場って保守的ですから・・・・。
そう、自分のこどもの反応を考えてしまいますね。
僕は先日、ハム製品をつくっており施設内に温泉やレストランのあるところに行ったのですが、可愛いブタちゃんとじゃれあったあとで、入浴後、レストランでもりもり豚肉料理を食べたので、相方から「あんたの神経は理解できないわ」といわれちゃいました(笑)
6年生と3年生っていう学年の微妙な違いも、この映画のポイントでしたね。
自分の子ならどうしたかな? と考えたとき、彼ならきっと「食べない」にするだろうなと思います。