
本間 幸一氏(ほんま・こういち、本名昴一=こういち=田中角栄元首相の元地元筆頭秘書)30日午後10時30分、うっ血性心不全のため新潟県長岡市の病院で死去、88歳。新潟県出身。自宅は長岡市金房3の4の7。葬儀は2日午前11時30分から長岡市南町1の1の11のセレモニーホール長岡会堂で。喪主は長女の夫三郎(さぶろう)氏。
1946年、田中元首相の衆院選初出馬(落選)時から秘書を務める。長く地元の筆頭秘書として東京とのパイプ役を担い、「国家老」と呼ばれた。
永田町のことなどほとんど知らないが、菅首相が官邸で誰にも相手にされないのか、夫人相手に食事でもしているさまを想像すると、空恐ろしくなってくる。
政治家にも、官僚にも、財界にも、本当にこの人を支えようという強い意志を持った人などいるのかどうか。
菅直人の秘書も何人もいるのだろうが、僕は知らない。
本間幸一は、田中角栄の政治家としてのスタートから引退までの40年余りを、黒子に徹して「国家老」として捧げてきた。柏崎出身、左翼で労働闘争をしていたのだが引き抜かれ、以降田中土建に籍を置きながら、角栄の地元を徹底して守りぬいた。
思えば、角栄の秘書軍団は多士済々だった。
表の金庫番で政策担当をしていた榎本敏夫、目白邸の「江戸家老」といわれた山田泰司、裏の金庫番の佐藤昭子、広報の早坂茂三などなど。
田中角栄は、敗戦後日本の「民族派」=反ユダヤ(国際派)の頭脳が結集したとされる。
政治家も財界人も官僚も学者も・・・そしてそのエネルギーは批判もされるが、傑出したリーダーシップがあり、それを後ろで支えたのが本間幸一らの秘書であった。
民社党の政治家たちは、小沢ら一部を除いて、やり手の秘書もいないし、もうそんな存在をかえってうさんくさく思うような時代となってしまったのかもしれない・・・合掌!
1946年、田中元首相の衆院選初出馬(落選)時から秘書を務める。長く地元の筆頭秘書として東京とのパイプ役を担い、「国家老」と呼ばれた。
永田町のことなどほとんど知らないが、菅首相が官邸で誰にも相手にされないのか、夫人相手に食事でもしているさまを想像すると、空恐ろしくなってくる。
政治家にも、官僚にも、財界にも、本当にこの人を支えようという強い意志を持った人などいるのかどうか。
菅直人の秘書も何人もいるのだろうが、僕は知らない。
本間幸一は、田中角栄の政治家としてのスタートから引退までの40年余りを、黒子に徹して「国家老」として捧げてきた。柏崎出身、左翼で労働闘争をしていたのだが引き抜かれ、以降田中土建に籍を置きながら、角栄の地元を徹底して守りぬいた。
思えば、角栄の秘書軍団は多士済々だった。
表の金庫番で政策担当をしていた榎本敏夫、目白邸の「江戸家老」といわれた山田泰司、裏の金庫番の佐藤昭子、広報の早坂茂三などなど。
田中角栄は、敗戦後日本の「民族派」=反ユダヤ(国際派)の頭脳が結集したとされる。
政治家も財界人も官僚も学者も・・・そしてそのエネルギーは批判もされるが、傑出したリーダーシップがあり、それを後ろで支えたのが本間幸一らの秘書であった。
民社党の政治家たちは、小沢ら一部を除いて、やり手の秘書もいないし、もうそんな存在をかえってうさんくさく思うような時代となってしまったのかもしれない・・・合掌!
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