モンゴルの草原を舞台に、遊牧民の少女と子犬との心の交流を描いた心温まる感動作。『らくだの涙』のビャンバスレン・ダバー監督が、現地に古くから伝わる「黄色い犬の伝説」を題材にすることによって、モンゴルの文化を語り継ぐことに成功した貴重な作品。遊牧民たちの暮らしぶりと、3人の素朴な子供たちの姿に心癒される。さらに本作でカンヌ国際映画祭のパルムドッグ賞を受賞した「ツォーホル」が、俳優顔負けの名演で観るものを魅了する。[もっと詳しく]
「私には撮りたい映画がある」と、ダバー監督には迷いがない。
ダバー監督の前作「らくだの涙」は、多くの人に新鮮な感動を与えた。
モンゴルの砂漠地帯の遊牧民族の一家。そこの母らくだが産んだ赤ちゃんは、白い子らくだ。
母らくだは育児拒否をする。白い子らくだは、弱っていく。乳を求めて泣き続ける。
遊牧民は、伝承にしたがって、当然のように、母らくだに音楽を聞かせる。HOOS・・・この四文字をひたすら詠唱し続ける。
長い時間がたち、母らくだの目から一筋の涙が流れ出す。母らくだはようやく、白い子らくだを向かい入れ、乳を愛情深く飲ませるようになる。
シンプルだが、とても感動させられる映画である。
サンフランシスコ国際映画祭で国際批評家賞受賞をはじめ、世界各国の映画祭で絶賛された。アカデミー賞ドキュメント部門にノミネートもされた。
あるメディアいわく「もし、最優秀動物演技賞部門があれば、この母らくだと白い子らくだに与えられるだろう」。
「らくだの涙」は、ダバー監督のミュンヘン映像映画大学(HHF)での3作目、同じ学校の出身のイタリア出身の若手監督ルイジ・ファルロニとの共同監督作品であった。
ダバー監督は、この成功で、自らのドキュメントに関する方法論に、確信をもったと思われる。
ドキュメントの好きな監督は?と訊かれたダバーは、こう答えている。
「大好きなドキュメンタリー映画の監督はたくさんいますが、特に名前は挙げません。感銘を受けた多くの作品名を挙げることもできますが、何か特定の作品と同じような映画を作りたいとも思いませんでした。私には撮りたい映画があるのですから、そんなことを思うはずがありません」。
「撮りたい映画」あるいは「撮ることを約束されている映画」!
そこに、ダバー監督は、揺ぎ無い確信を持つに至ったのだ。
そして、必然の過程として、本作「天空の草原のナンサ」が、クランク・インしたのである。
ダバー監督の今回のモチーフは、祖母から聞いた「黄色い犬の伝説」である。
モンゴルの輪廻転生論では、「犬は来世で人間にうまれ変わりやすい」という。
冒頭、映画は夕暮れ時に、死んだ犬を埋葬するシーンから始まる。犬の尻尾は切り取られ、骸に抱かせるようにしている。来世は、人間に、生まれ変わりますように。
このシーンから、いきなり僕たちは、どこか遠い遺伝子の記憶の世界、あるいはモンゴリアンの係累としての共通感覚、自然と命ある生命体が共振していたアニミズムに似た時空に、懐かしさにも似た心持で、入り込んでいくことになる。
モンゴルの草原に暮すパットチュルーン一家。若い夫婦と3人の子供。長女が主人公である6歳のナンサ。
もちろん、リサーチで撮影対象を選択するダバー監督の方法論は、今回も、現実に遊牧生活を営むこの一家を数千キロ、2週間移動して、探しあてる旅から始まった。
この一家に出会い、スタッフは2ヶ月間、共同生活をおくることになる。
コミュニケーションを交わし、ひたすら、一家の生活に寄り添い、カメラを回す。
忍耐強く、信念を持って、天啓のような場面が訪れるのを、待つ・・・。
学校ひとつ、店ひとつ、電話ひとつ、そういう集落にたどり着くのでさえ、ジープで二日がかりだ。
遊牧の生活を断念し、大都市ウランバートルにすでに半数が拠点を移している。
捨てられた犬が野犬化し、狼をよびよせる始末だ。
偶然、岩の穴倉で、犬を見つけたナンサは、家に連れてかえる。ツォーホルと名づけた犬を、母親も「可愛いわね」というが、父は、飼う事を許さない。
ナンサは、犬を手離すことがどうしてもできない。
一家は、ゲルを解体し、移動をすることになる。父親は、犬を紐で首輪につなぎ、仲間に引取りを頼み、旅立つ。
ナンサも、犬との別れで寂しげだが、従わざるを得ない。
移動をはじめてしばらくして、末弟が台車から抜け出し、迷子になっていることに気づく。
父親は、馬に乗り、とってかえすが、ハゲワシの大群の近くで、子供を護るように吼え続けているツォーホルを目撃する。
モンゴルには、「子供を救う犬の伝承」がある。父親は、子供と一緒にツォホールを抱き締め、そして、移動の台車に、ツォーホルの場所が与えられる。
小さな小さな逸話である。
この若い夫婦が素晴らしい。
子供たちに、厳しい草原で生きていく力を与えようとしているが、決して、声を荒げないのだ。
まず、子供たちの疑問、なにか言いたげな様子を察知して、寄り添ってあげる。そして、動物のこと、自然の摂理、生活をみなが分担して支えていくことを、岩に水が染み入る様に、ゆっくりと伝えていく。
「なぜ、犬を手元におけないのか」と不服顔のナンサに対して、母親は「掌を噛んでごらん」という。ナンサは一生懸命噛もうとするができない。母親は、小さく笑ってやさしく諭す。「全部が思い通りにはならないのよ」。
また、馬に乗って急に降り出した雨の中、日が暮れてしまったナンサは、おばあさんのゲルに立ち寄る。
おばあさんは、身体の冷えたナンサに、たっぷりの温かい乳を飲ましてくれる。そして、ナンサの関心である輪廻転生について、説話を語ってくれる。
「私は人間にまた生まれ変われるかなあ」と訊くナンサ。おばあさんは「米粒を立てかけた箸の上に置いてごらん」という。ナンサは、掬い取った米粒を箸にかけるが、すべて零れ落ちてしまう。「それだけ、難しいのよ」とおばあさんは静かに言う。
こうした動作の一つひとつに、子供たちは、この世界の真理や不条理を感知することになる。
「躾け」という名の子供たちへのヒステリックな強制や叱り声を、嫌でも毎日のように見聞きしてしまう僕たちは、ただただ、ため息をついてしまう。
ゲル住まいの遊牧民の日常にも、当然、文明は入り込む。
この一家でも、父親はバイクで町での交易に数日かけて向かう。子供のみやげに、ピンクの犬のぬいぐるみが与えられる。妻は、緑のプラスチックのひしゃくを求める。エンドロールに映し出されるその後のこの家族のスナップでは、ゲルのなかに、1台の小さなテレビが置かれている。選挙カーが、投票を訴えている。ナンサも、普段は、町の学校の近くに預けられている。
ダバー監督の祖父母は、この一家と同じように、草原のゲルで育った。
60頭のらくだと300頭のヒツシやヤギとともに。そして、この祖父母が、都市への移住の第一世代である。
その孫にあたる、すなわち移住第3世代にあたるダバーは、高等教育を得たが、いつも、祖父母から子守唄のように聞いた、草原の話が、思い起こされる。
モンゴル共和国。
人口はわずか270万人程度。西はアルタイ山脈、南はゴビ砂漠。「この世の果て」とも名づけられたこともある。 希少元素(レアアース)で、世界から注目されてはいるが、現在の国家予算はわずか750億円である。
あのホリエモンが、自分の資産を、モンゴルの国家予算に喩えたこともあった。
ホリエモンはそんな比喩で、いったいなにを誇示したかったのだろうか。モンゴルぐらいは資本で買うことができますよとでも、ほのめかしたかったのだろうか。
僕たちは、たった6歳のナンサにも、喪われてしまった僕たちの記憶について、多くの事柄を学ばなければならないというのに。
派手な映画ではありませんが、大好きな作品です。
kimion20002000さんがおっしゃっている通りお父さん、お母さんそしておばあさんの教えてくれるコトが1つ1つ納得!とナンサとともにうなずきながら聞き入って(見入って)しまいました。
犬のツォーホルの演技も素晴らしくさすが「パルムドッグ賞」を受賞しただけのことはありますね。
そうですね、「パルムドッグ賞」は、カンヌの名物ですが、受賞してよかったですね。あのぶち犬が、授賞式に出たんでしょうかねぇ。
皆のびのび生きているようで。。
「らくだの涙」はまだ観ていません。
自分の撮りたいものがはっきりしている監督なら、
この作品も安心して観ていられそうです。
ナンサの家族にすっかりやられてしまいました。
私たちが忘れていたの物がこの映画の中に確かにありました。
日本では心が寒くなるような犯罪が年々増えていくように思いますが、便利さや快適さと引き換えに私たちは何を置いてきてしまったのかと考えさせられる映画でした。
「らくだの涙」もぜひ見てみたいと思います。
最近のハリウッド映画では、動物の撮影シーンで、動物に虐待や無理なストレスを与えないかをチェックする専門家の立会いが必要になっています。でも、ダバー監督には、必要ないでしょうね。
>ミチさん
いま、昭和20年代、30年代の日本が懐古されていますが、モンゴルとは全然違いますが、やっぱり、都会でも、路地裏の光景とか、子供たちのふてぶてしい力強さとかが、懐古される様な気がします。
>antoinedoinelさん
「らくだの涙」きっと、感動されると思います。レンタルでも出ていますから、ぜひ。
この映画良かったですね。 俳優さんで無い一家の自然な演技に惹かれましたし、 この映画の中にあるメッセージが素直に体にしみました。 是非是非このままのものが変わらずにありますようにと思います。
ミュンヘン映像映画大学には、世界中から、映像表現を志向する若者が集まってきます。残念ながら、日本には、こういう大学がないですね。前作「らくだの涙」は、卒業制作のようなものであり、そう考えると、競争は厳しいでしょうが、才能あるものには、チャンスを与えていますね。
>母親は、小さく笑ってやさしく諭す。「全部が思い通りにはならないのよ」。
殺伐とした今の日本が失ってしまったものが、ここにはありますね。
是非観たいと思いました。(宿題がいっぱい・・・)
とにかく素朴で、和みました。見ている間、素敵な時間でした。
あの家族がこれからどのように文明と折り合いをつけていくのか、気になります。
ナンサが大人になった時、生活はどのように変わっているのでしょうか。
まあ、癒し気分でだけ鑑賞してもしょうがないけど、なにが、幸せなのか、自分たちの文明を考えさせられます。
>ジングルズさん
僕も、ぼーとしながら、この世界に感嘆していました。
>machさん
レポートでは、首都の人口密集地では、やはり、アルコール中毒や、犯罪や、が群発しているようですね。
ドキュメンタリーにありがちな、押し付けがましい製作者の意図がない、素直に心に染み入る映画でしたね。この映画の良さを評価できない日本だとしたら、滅び行く国となるのでしょうね。
評価というか、情緒的に、入り込み、絶賛されるとは思うんですね。けれど、「滅び行く国」になるかもしれません。
ところで、僕はまだ「らくだの涙」を観ていないのです。ずっと気にはなっているのですが、なかなか借りるところまではいかない。でもこのように紹介されると観たくなります。いつか借りてみよう。
「らくだの涙」は砂漠地帯、今回は草原地帯という差はありますけどね。
音楽によって「母らくだ」が涙を流さず、子らくだを迎え入れなかったら?という質問に、「そんなことはない、必ずそうなる、と遊牧民は言っていたから、心配はしなかった」と言い切るダバー監督!すごいものです。
おっしゃる通り、最初の埋葬のシーンから、すんなりと入っていけましたし、全編見ても、私はもしかしたら前世はモンゴルに住んでいたかも・・・とまで思っちゃいました。
「らくだの涙」は未見なので、是非見てみたいと思いました。
TBさせていただきましたm(_ _)m
>私はもしかしたら前世はモンゴル・・・
なんか、なつかしい、既視感のあるような、血がさざめきたつような・・・・感覚。
ナンサちゃん一家の笑顔がいまでも印象に残っています。
そして、ダバー監督の微笑みの中にも芯の強さを感じさせるあの瞳が好きです。
自然と共に生きる親子の絆。
そして変わりつつある生活の流れ・・
「らくだの涙」という作品も是非観てみたいと思います!
モンゴルの民族衣装を着て、堂々とインタビューに答える、監督さんはかっこいいですね。
ナンサのホッペタが可愛かったです!!
とっても癒されました。
『らくだの涙』も是非とも鑑賞してみたいと思いました。
モンゴルにも一生に一度は行ってみたいですね。
トラバさせてください。
日本でも、あそこまでたくましくなくても、真っ赤なほっぺの子供が普通でしたよね。空調と温度管理のせいかしら。このごろは、あまり、みかけませんね。
やがて文明の波が押し寄せて
いがうへでもその生活は変わっていくのでしょうが
自然と身についた ナンサの遊牧の血は消えそうにありません
自分の生き方 自然と動物との関わり方それをこよなく愛しむ
ナンサの笑顔がとても素晴らしかったのです
綺麗な子は、文明国にもたくさんいるんですけどね。ナンサのような笑顔を持てる子は、なかなかいませんでしょう。
らくだの涙、気になっていたものの、見ていませんでした。
さすが、kimionさん、ナンサ以前に視聴されていたのですね。
ナンサ、あの犬も凄く演技が上手かったですよね。
あと、女の子達が、薄着で寝てるな~なんて思いましたw
モンゴルの草原も、1日の寒暖差はとても大きいのでしょうね。
夜は、凍えるような寒さだと思いますけどね。でも、あの移動式テントは、ああみえて、保温が上手にされるようになっているんでしょうね。
いろいろmac_kunが触れた作品を紹介しているblogですが、ご訪問、TBありがとうございます。
映画はほとんどレンタルDVDを見てるのですが、ご紹介の作品はまだ拝見してませんので、是非見てみたいと思います。
僕も9割はレンタルDVDですね。
寝転がっての「座布団シネマ」です。
これからも、よろしく。
まるでメルヘンのように、のぞかせていただいた大草原での生活ではありますが、本当に心に染み渡るような映像でしたね。
お母さんが、ちょっとしたおしゃれにも気を配っているところが、印象に残りました。
>国を愛せよと言っている人たちに是非見てほしい映画ですね。
まったくそうですね。そして、かれらが、モンゴルに興味を持つとすれば、鉱物資源などの利権という側面においてのみでしょう。
いつまで、この生活感性が、保持されていくんでしょうかね。便利さを求めるのもまた、当たり前のことですし・・・。
こちらからも 貼らせていただきました。
去年の公開時に観て、しばらくモンゴル漬け状態でした。
図書館で モンゴルの音楽のCDを3つも借りてきて、ひたひた。
DVD化でもう一度観たところです。
近所の ビデオレンタル店には「らくだの涙」が無いようで、
まだ見ていないのが、口惜しい~。
たぶん自分は、定住に向いていないのです。
いつもどこかへ行きたい、どこかを探している。
車嫌いで、何時間と歩くこともいとわない。
遊牧民に生まれついていたら
今より しあわせかもしれない。
なんてあまいことを考えたりもして。
これからやってくる“時代”と モンゴルが
うまく折り合いをつけて 共存していく道が
ありますよう。
(日本は、それ、失敗してるから・・・)
ふうこさんの前世h、モンゴルの草原の娘だったかもね。
作品全体に流れる映像は自然の優しさと厳しさをしっかりと描いていましたね。
子供が危ないというハラハラしたものも感じましたが、しっかりと大地に生きる父によって、そして愛情を受け取った犬によって救われる過程は鮮やかでした。
文明の香りはするものの、根っこは変わらないのだと思います♪
両親が、子どもたちを、注意深く観察しながら、だけど、自立を促すように、突き放したりしますね。その絶妙さに感心しました。