サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 06168「天空の草原のナンサ」★★★★★★★☆☆☆

2006年09月02日 | 座布団シネマ:た行

モンゴルの草原を舞台に、遊牧民の少女と子犬との心の交流を描いた心温まる感動作。『らくだの涙』のビャンバスレン・ダバー監督が、現地に古くから伝わる「黄色い犬の伝説」を題材にすることによって、モンゴルの文化を語り継ぐことに成功した貴重な作品。遊牧民たちの暮らしぶりと、3人の素朴な子供たちの姿に心癒される。さらに本作でカンヌ国際映画祭のパルムドッグ賞を受賞した「ツォーホル」が、俳優顔負けの名演で観るものを魅了する。[もっと詳しく]

「私には撮りたい映画がある」と、ダバー監督には迷いがない。

 ダバー監督の前作「らくだの涙」は、多くの人に新鮮な感動を与えた。
モンゴルの砂漠地帯の遊牧民族の一家。そこの母らくだが産んだ赤ちゃんは、白い子らくだ。
母らくだは育児拒否をする。白い子らくだは、弱っていく。乳を求めて泣き続ける。
遊牧民は、伝承にしたがって、当然のように、母らくだに音楽を聞かせる。HOOS・・・この四文字をひたすら詠唱し続ける。
長い時間がたち、母らくだの目から一筋の涙が流れ出す。母らくだはようやく、白い子らくだを向かい入れ、乳を愛情深く飲ませるようになる。
シンプルだが、とても感動させられる映画である。
サンフランシスコ国際映画祭で国際批評家賞受賞をはじめ、世界各国の映画祭で絶賛された。アカデミー賞ドキュメント部門にノミネートもされた。
あるメディアいわく「もし、最優秀動物演技賞部門があれば、この母らくだと白い子らくだに与えられるだろう」。

 

「らくだの涙」は、ダバー監督のミュンヘン映像映画大学(HHF)での3作目、同じ学校の出身のイタリア出身の若手監督
ルイジ・ファルロニとの共同監督作品であった。
ダバー監督は、この成功で、自らのドキュメントに関する方法論に、確信をもったと思われる。
ドキュメントの好きな監督は?と訊かれたダバーは、こう答えている。
「大好きなドキュメンタリー映画の監督はたくさんいますが、特に名前は挙げません。感銘を受けた多くの作品名を挙げることもできますが、何か特定の作品と同じような映画を作りたいとも思いませんでした。私には撮りたい映画があるのですから、そんなことを思うはずがありません」。

 

「撮りたい映画」あるいは「撮ることを約束されている映画」!
そこに、ダバー監督は、揺ぎ無い確信を持つに至ったのだ。
そして、必然の過程として、本作「天空の草原のナンサ」が、クランク・インしたのである。

ダバー監督の今回のモチーフは、祖母から聞いた「黄色い犬の伝説」である。
モンゴルの輪廻転生論では、「犬は来世で人間にうまれ変わりやすい」という。
冒頭、映画は夕暮れ時に、死んだ犬を埋葬するシーンから始まる。犬の尻尾は切り取られ、骸に抱かせるようにしている。来世は、人間に、生まれ変わりますように。
このシーンから、いきなり僕たちは、どこか遠い遺伝子の記憶の世界、あるいはモンゴリアンの係累としての共通感覚、自然と命ある生命体が共振していたアニミズムに似た時空に、懐かしさにも似た心持で、入り込んでいくことになる。

 

モンゴルの草原に暮すパットチュルーン一家。若い夫婦と3人の子供。長女が主人公である6歳のナンサ。
もちろん、リサーチで撮影対象を選択するダバー監督の方法論は、今回も、現実に遊牧生活を営むこの一家を数千キロ、2週間移動して、探しあてる旅から始まった。
この一家に出会い、スタッフは2ヶ月間、共同生活をおくることになる。
コミュニケーションを交わし、ひたすら、一家の生活に寄り添い、カメラを回す。
忍耐強く、信念を持って、天啓のような場面が訪れるのを、待つ・・・。

 

学校ひとつ、店ひとつ、電話ひとつ、そういう集落にたどり着くのでさえ、ジープで二日がかりだ。
遊牧の生活を断念し、大都市ウランバートルにすでに半数が拠点を移している。
捨てられた犬が野犬化し、狼をよびよせる始末だ。

偶然、岩の穴倉で、犬を見つけたナンサは、家に連れてかえる。ツォーホルと名づけた犬を、母親も「可愛いわね」というが、父は、飼う事を許さない。
ナンサは、犬を手離すことがどうしてもできない。
一家は、ゲルを解体し、移動をすることになる。父親は、犬を紐で首輪につなぎ、仲間に引取りを頼み、旅立つ。
ナンサも、犬との別れで寂しげだが、従わざるを得ない。
移動をはじめてしばらくして、末弟が台車から抜け出し、迷子になっていることに気づく。
父親は、馬に乗り、とってかえすが、ハゲワシの大群の近くで、子供を護るように吼え続けているツォーホルを目撃する。
モンゴルには、「子供を救う犬の伝承」がある。父親は、子供と一緒にツォホールを抱き締め、そして、移動の台車に、ツォーホルの場所が与えられる。
小さな小さな逸話である。

 

この若い夫婦が素晴らしい。
子供たちに、厳しい草原で生きていく力を与えようとしているが、決して、声を荒げないのだ。
まず、子供たちの疑問、なにか言いたげな様子を察知して、寄り添ってあげる。そして、動物のこと、自然の摂理、生活をみなが分担して支えていくことを、岩に水が染み入る様に、ゆっくりと伝えていく。
「なぜ、犬を手元におけないのか」と不服顔のナンサに対して、母親は「掌を噛んでごらん」という。ナンサは一生懸命噛もうとするができない。母親は、小さく笑ってやさしく諭す。「全部が思い通りにはならないのよ」。



また、馬に乗って急に降り出した雨の中、日が暮れてしまったナンサは、おばあさんのゲルに立ち寄る。
おばあさんは、身体の冷えたナンサに、たっぷりの温かい乳を飲ましてくれる。そして、ナンサの関心である輪廻転生について、説話を語ってくれる。
「私は人間にまた生まれ変われるかなあ」と訊くナンサ。おばあさんは「米粒を立てかけた箸の上に置いてごらん」という。ナンサは、掬い取った米粒を箸にかけるが、すべて零れ落ちてしまう。「それだけ、難しいのよ」とおばあさんは静かに言う。

こうした動作の一つひとつに、子供たちは、この世界の真理や不条理を感知することになる。
「躾け」という名の子供たちへのヒステリックな強制や叱り声を、嫌でも毎日のように見聞きしてしまう僕たちは、ただただ、ため息をついてしまう。
ゲル住まいの遊牧民の日常にも、当然、文明は入り込む。
この一家でも、父親はバイクで町での交易に数日かけて向かう。子供のみやげに、ピンクの犬のぬいぐるみが与えられる。妻は、緑のプラスチックのひしゃくを求める。エンドロールに映し出されるその後のこの家族のスナップでは、ゲルのなかに、1台の小さなテレビが置かれている。選挙カーが、投票を訴えている。ナンサも、普段は、町の学校の近くに預けられている。

ダバー監督の祖父母は、この一家と同じように、草原のゲルで育った。
60頭のらくだと300頭のヒツシやヤギとともに。そして、この祖父母が、都市への移住の第一世代である。
その孫にあたる、すなわち移住第3世代にあたるダバーは、高等教育を得たが、いつも、祖父母から子守唄のように聞いた、草原の話が、思い起こされる。

 

モンゴル共和国
人口はわずか270万人程度。西はアルタイ山脈、南はゴビ砂漠。「この世の果て」とも名づけられたこともある。 希少元素(レアアース)で、世界から注目されてはいるが、現在の国家予算はわずか750億円である。
あのホリエモンが、自分の資産を、モンゴルの国家予算に喩えたこともあった。
ホリエモンはそんな比喩で、いったいなにを誇示したかったのだろうか。モンゴルぐらいは資本で買うことができますよとでも、ほのめかしたかったのだろうか。
僕たちは、たった6歳のナンサにも、喪われてしまった僕たちの記憶について、多くの事柄を学ばなければならないというのに。


最新の画像もっと見る

36 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
TBありがとうございました。 (sabunori)
2006-09-02 16:44:35
こんにちは。

派手な映画ではありませんが、大好きな作品です。

kimion20002000さんがおっしゃっている通りお父さん、お母さんそしておばあさんの教えてくれるコトが1つ1つ納得!とナンサとともにうなずきながら聞き入って(見入って)しまいました。

犬のツォーホルの演技も素晴らしくさすが「パルムドッグ賞」を受賞しただけのことはありますね。
返信する
sabunoriさん (kimion20002000)
2006-09-02 16:55:30
こんにちは。

そうですね、「パルムドッグ賞」は、カンヌの名物ですが、受賞してよかったですね。あのぶち犬が、授賞式に出たんでしょうかねぇ。
返信する
TBありがとうございました! (murkha)
2006-09-02 18:51:40
ナンサがたくましく、そして愛らしいですね。

皆のびのび生きているようで。。

「らくだの涙」はまだ観ていません。

自分の撮りたいものがはっきりしている監督なら、

この作品も安心して観ていられそうです。
返信する
TBありがとうございました (ミチ)
2006-09-02 20:06:59
こんにちは♪

ナンサの家族にすっかりやられてしまいました。

私たちが忘れていたの物がこの映画の中に確かにありました。
返信する
TBありがとうございました。 (antoinedoinel)
2006-09-02 22:08:04
今年のはじめに見たこの作品、お陰さまで久し振りに思い返して反芻する機会をいただきました。

日本では心が寒くなるような犯罪が年々増えていくように思いますが、便利さや快適さと引き換えに私たちは何を置いてきてしまったのかと考えさせられる映画でした。

「らくだの涙」もぜひ見てみたいと思います。
返信する
コメント多謝 (kimion20002000)
2006-09-03 05:10:47
>murkhaさん



最近のハリウッド映画では、動物の撮影シーンで、動物に虐待や無理なストレスを与えないかをチェックする専門家の立会いが必要になっています。でも、ダバー監督には、必要ないでしょうね。



>ミチさん



いま、昭和20年代、30年代の日本が懐古されていますが、モンゴルとは全然違いますが、やっぱり、都会でも、路地裏の光景とか、子供たちのふてぶてしい力強さとかが、懐古される様な気がします。



>antoinedoinelさん



「らくだの涙」きっと、感動されると思います。レンタルでも出ていますから、ぜひ。
返信する
TBありがとうございました。 (ちゃぎ)
2006-09-03 23:23:07
ダバー監督はドイツの人かと思って、不思議だったのですが、謎が解けました。 

この映画良かったですね。 俳優さんで無い一家の自然な演技に惹かれましたし、 この映画の中にあるメッセージが素直に体にしみました。  是非是非このままのものが変わらずにありますようにと思います。
返信する
ちゃぎさん (kimion20002000)
2006-09-04 00:48:45
こんにちは。

ミュンヘン映像映画大学には、世界中から、映像表現を志向する若者が集まってきます。残念ながら、日本には、こういう大学がないですね。前作「らくだの涙」は、卒業制作のようなものであり、そう考えると、競争は厳しいでしょうが、才能あるものには、チャンスを与えていますね。
返信する
ありがとうございました (おかみ)
2006-09-05 08:35:27
何と素敵な作品でしょうか。



>母親は、小さく笑ってやさしく諭す。「全部が思い通りにはならないのよ」。



殺伐とした今の日本が失ってしまったものが、ここにはありますね。

是非観たいと思いました。(宿題がいっぱい・・・)
返信する
モンゴルの草原での生活 (ボー・BJ・ジングルズ)
2006-09-05 08:45:58
彼らがどのように生活しているのかを知らせてくれた映画でもありました。

とにかく素朴で、和みました。見ている間、素敵な時間でした。
返信する

コメントを投稿