愛されることがすべてと思っていた女性が、運命的な出会いを経て、愛することが本当の愛だと気付くラブストーリー。『私の頭の中の消しゴム』イ・ジェハン監督がメガホンを取り、監督から熱烈なラブコールを受けた中山美穂が、『東京日和』以来12年ぶりの映画主演作で愛に生きる強く純真な女性を熱演。原作は中山の夫・辻仁成。バンコクで始まった恋が東京、ニューヨークと場所を移し、25年の時を超えて愛へと変わる過程が切ない。[もっと詳しく]
なんだか辻仁成と高城剛には、同じ匂いがして好きになれない。
原作の辻仁成は、1959年生まれ。父親は有名な絵本作家の東君平だ。
ロックバンドECOESでそこそこ売れたが、作家に転進、97年には『海峡の光』で芥川賞を受賞した。
映画の脚本も書き、自分で何作かメガホンもとっている。
昔、NHKの若者番組で司会らしきこともしていた。
そんな辻仁成の姿を見ると、僕はなぜか反射的にチャンネルを変えてしまうのだった。
なぜ彼のどこに、生理的なとでもいえる嫌悪の感情が湧きたったのだろう?
本人やファンの方には、まことに申し訳ないのだが、よくわからない。
辻仁成がフランスに居を構えても、女性カメラマンと別れ、南果歩と別れ、中山美穂と一緒になったと聞いても、フーンというものだった。
江國香織と共同原作のような形で『冷静と情熱の間』(01年)が映画公開された時も、それなりの話題にもなったが、僕はDVDも見ていない。
また音楽バンドを再開したらしいが、そのことにも興味がない。
顔立ちなのか、雰囲気なのか、声質なのか、発言内容なのか、もうひとつわからないのだが、生理的に駄目だ。
本人は、「そりゃ、最大の侮辱だ!」と怒るかもしれないが、沢尻エリカと謎のカップル生活を続けた高城剛に対する生理的な嫌悪感と、ちょっと似ているような感じがする(笑)。
ともあれ、『サヨナライツカ』という作品は、辻仁成が01年に発表した原作をもとにしている。
もともと、この原作は02年に行定勲監督で、フジテレビ制作・東宝配給で、主役に中山美穂+大沢たかお、衣裳ワダ・エミ、音楽坂本龍一といった布陣で、映画になる予定があったらしい。
どういう理由で、そのスキームがつぶれてしまったのかはよく知らない。
ようやく08年に映画化されたわけだが、これは邦画ではなく韓国映画である。
監督に『私の頭の中の消しゴム』(04年)で、大ヒットを飛ばした、イ・ジェハン監督。
12年ぶりの中山美穂の体当たりの復帰映画という話題性があったかもしれないし、かなり脚本で原作を改変したといわれるイ・ジェハン監督に対する期待かもしれないが、映画の観客動員もDVDの販売部数も、特に日本では結構な成績を収めたのである。
たしかに、冒頭の中山美穂の結構大胆な悪女的なからみシーンにはドキっとするものがあったし、ザ・オリエンタル・ホテル・バンコクが開業以来始めて撮影協力をしてその贅沢な「サマセット・モーム・スイーツ」の調度などを見ることが出来たし、西島秀俊や石田ゆり子も好きな役者だし、イ・ジェハン監督の叙情的なカメラワークもそれなりだったしということはあるとしても、僕個人はまったくどの登場人物たちにも、感情移入が出来なかった。
特に25年後、時間が経過した東垣内豊役の西島秀俊や、上司桜田善次郎役の加藤雅也のメイキャップが、ちゃんちゃら不自然なのである。
ヒロイン真中沓子役の中山美穂も、死期を迎えた末期は別として、25年後の再会時のほうが、なんだか若やいで見えたりして・・・(化粧がシンプルになったせいかもしれないが)。
監督は、人生の「岐路」ということを表象したかったらしいが、それにしてもラスト近くに、哀しみに車をぶっ飛ばす西島秀俊が三叉路で急ブレーキをかけ停止し、それを俯瞰で撮影するなどというのは、あまりに直截すぎるのではないか。
実は、同じ頃に見た韓国映画だが、「異国」を舞台にした韓国の実力監督の恋愛映画としては『きみに微笑む雨』(09年)があった。
こちらは『春の日は過ぎゆく』(01年)、『四月の雪』(05年)、『ハピネス』(07年)などで哀しいリリシズムを秘めた恋愛映画では韓国でも一番ではないかとも思うホ・ジノ監督の作品だ。
主演は、『私の頭の中の消しゴム』であらためて日本の女性たちをも虜にしたチョン・ウソンが主人公ドンハ役で、中国の成都を舞台にして、中国人女優のカオ・ユアンユアンにヒロインであるメイ役を割り当てている。
アメリカの留学時代に仲が良かったドンハとメイ。
ドンハは杜甫の詩が好きな文学青年であったが、建設重機会社に就職してエリート営業マンとなっている。
四川大地震の一年後、復興現場に仕事の関係で来たドンハは、杜甫草堂で英語のガイド役をしているメイと十年ぶりに偶然再会する・・・。
原題は杜甫の詩の一節「好雨知時節」から取られている。
「良い雨は時を知り、春に降り万物を蘇生させる」という意だが、ドンハが滞在する四日間でお互いが好意を持っていることをなかなか言い出せず、実はメイは結婚していたが夫が四川大地震の被害者のひとりであったことが最後に近く明かされるという筋書きである。
これも悪いお話ではないし、即興演出がお得意のホ・ジノ監督らしい演出がいくつかの部分で微笑ましくカメラに収められているのだが、なんだかロケ地である成都をロケハンするのに汲々としているなあと印象を持ってしまった。
チョン・ウソンは幅広い役柄が出来る人だが、まだ誠実でいらいらするほど真面目で不器用な男のキャラとしては『サッド・ムービー』(05年)の演技のほうが良かったような気もする。
『サヨナライツカ』も『きみに微笑む雨』も、出会いと何年かしてからの時の経過をめぐる、愛の在り処の物語だ。
男の側から見れば、その舞台がバンコクであり、成都でありといった「異国」に設定されている。
結局のところ、青春の一時期の出会いが、何年か後に偶然の悪戯なのか、必然のような運命なのかは分からないが復活することで、自分が置き忘れてきたもの、喪失してしまったものを、再発見するという構図である。
このことは多かれ少なかれ、誰だって経験したり、観念したりすることだ。
けれども、このふたつの作品を見ながら、なんだかなあ、と白けてしまうのは、映画の出来がどうのというより、もう僕のほうが年を取りすぎて、そうしたロマンチックなあるいはドラマティックな感受性を、半ば喪失してしまっているからかもしれないと、寂しく思ったりしてしまうこともある。
それともうひとつあるのだが、自分の予想が二つの映画とも違うストーリー展開に進んだことにもよる。
『サヨナライツカ』でいえば、ラストに近く死期が近い沓子に付き添っていた若い女性は、実は豊と沓子の愛の結晶で、沓子はそれを秘密にして25年後再会したのだというふうに、もって行きたかった自分がいる。
たしかに場所はバンコクだとしても、沓子と豊は純正日本人なのだから、登場した女性はやっぱりタイ人だよなぁとは思いながらも。
『きみに微笑む雨』でいえば、十年ぶりに出会った二人が過去の記憶が微妙にずれている最初のほうの会話を見て、僕はこれはてっきりパラレルワールドの物語とばっかり予想してしまった。
それに四川大地震の舞台を絡めれば、なかなか面白いお話が・・・などと思い込んでしまったのだ。
素直に、これらの映画的世界に入り込めないストレスが、そうしたストーリー妄想を無意識に呼び寄せたのかもしれない。
kimion20002000の関連レヴュー
『四月の雪』
『サッド・ムービー』
喰わず嫌いはよくないかなぁと思って、2,3冊作品も読んでみたのですが、ますます嫌いになってしまいました(笑)
それはともかく、映画のほうは、舌足らずで筋運びについて感心できないながら、ムードはなかなか良かったと思い、星を奮発してしまいました。
一番気に入らなかったのは、レビューの中でも書きましたが、主人公が野球でバント指示を無視してホームランを打つシーンを置いたこと。
親善試合とか草野球でバント指示を出しはしないだろうし、出したとしても打者は嫌がったりはしないでしょう。
作者(原作者か脚色者)は心理絡みでこの場面を重視していますが、野球を知らないのではないでしょうかね。
そうそう、妄想のつまんない未来風景がありましたね。封印しときましょう(笑)
25年後のメイクには、笑ってしまいましたよね。
あと西島秀俊の妄想?の未来のオフィスにも。
商業映画なら、もう少しまともな美術にしてもらいたいと思いました。
「かちかち男」なんですか?(笑)
でも映画の男は、結構いい思いをしているみたいだし。
ひとつの道筋しか考えられない、まじめなかちかち男の話。
「何だか、自分みたい」と思ってみてました。