
猪木vsウイリアムス戦の審判ユセフ・トルコさんが死去
デイリースポーツ 11月7日(木)7時0分
元プロレスラーでレフェリーとして活躍したユセフ・トルコさん(本名ユセフ・オマー)が、10月18日に栃木県内で死去していたことが6日、分かった。享年82。葬儀は密葬で執り行われ、生前の本人の意向で死因などは公表されていない。
トルコさんは1954年に日本プロレスでレスラーとしてデビュー。次第にレフェリーとしての活動が主となった。72年の新日本旗揚げ時や80年のアントニオ猪木対ウィリー・ウイリアムスの異種格闘技戦でレフェリーを務め近年はリアルジャパンで元気な姿を見せていた。
プロレスをよく見ていたのは、小学校から大学生ぐらい。『ゴング』誌を結構、仕入れていた。
だからユセフ・トルコに関しては、レスラーとしてのパフォーマンスは少ししか知らないが、レフェリーの姿の方が目に浮かんでくる。レスラーに殴られて、大げさに倒れ込むパフォーマンスとか。
もともとトルコ人の両親で横浜に生まれたから、日本語が堪能。
そこからは、プロレス界の分裂や統合や地下の謀議の多くに、ユセフ・トルコはからむことになる。
新日本プロレスの旗揚げには猪木側に立ち、しかししばらくすると、猪木と微妙な関係にもなる。
梶原一騎とも太いパイプが出来、用心棒的なことをしたり、フロントで動いたり、暴力沙汰で逮捕されたりもした。
大物総会屋とつるんで、事件の裏に、顔をのぞかせたりもした。
そのくせ、猪木VSウィリアムズの審判で復帰したり、最後までプロレス界統一で暗躍したり。
また、兄は俳優のオスマン・トルコ。怪獣映画を始め、エンタメB級映画にたくさん出演している。
どれも主役を張るようなものではない。これは、俳優としての能力と言うより、言葉が堪能だったから外国人エキストラの手配師のようなこともしており、撮影現場でエキストラを仕切る役割も兼ねていたのでは、と思わせられる。
とにかく、多くのドラマに立ち会いながら、しぶとく自分のポジションを確保しようとした外人さんだ。トルコ人が日本で生き抜くにはそれはそれで、したたかさが必要だったろう。
墓に持っていくべき秘密をたくさん持っていた人だろう・・・合掌!
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