サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

161日目「伊勢と伊勢商人(有楽町朝日ホール)」銀座

2010年05月08日 | 姪っ子メグとお出かけ
姪っ子メグ おじさん、今度のGWは帰省しなかったのね。
キミオン叔父 うん、帰省といってもさ、僕も相方も両方と両親が亡くなっているからね、帰省という感じじゃないんだよね。
そうか、おじさんは伊勢だよね。
生まれたのは伊勢。保育所あたりで松阪に越して、そのあと高校までは松阪。そちらのお墓は、宇治山田駅のすぐ近く。
伊勢神宮はおじさんと二回行ったわね。あと奥伊勢の方も。松阪も、お肉を食べに行ったね。
そうだったな。もっとも有名な和田金じゃなくてオジサン推薦のホルモン焼き屋だったけどね。
松阪は城下町でとてもよかったなぁ。おじさんの多感な少年時代があったのかなぁと城跡に行ったりしたよね。
そう、多感だったんだ(笑)。まあ誰だってそうかもしれないけど、自分の原点はみんなそこにあるのかもしれないな。



今日は真面目なシンポジウム。公益財団法人伝統文化活性化国民協会主催ね。なんか、あやしげな公益法人の名前ねぇ。
お亡くなりになった平山郁夫さんが理事長なさっておられたみたいだけどさ、まあ趣旨はいいけど昔の自民党の応援母体のひとつみたいな感じがするな。
平成22年度に式年遷宮があるんで、やはり伊勢のテーマね。今回は伊勢商人論。
江戸時代にさ、近江商人と並んで伊勢商人が大活躍したんだよね。90家ぐらい進出していて、江戸の大店の半数ぐらいが伊勢出身だったらしい。
昔の伊勢国というのはいまの桑名あたりから伊勢あたりまでらしいね。
基本は伊勢湾沿いだね。そのなかでも今日も解説があったけど、伊勢商人の出自は水銀の一大産地であった丹生からその水銀も使い白粉で栄えた射和あたりがひとつ、あとは松阪木綿で有名な松阪市内、そして県庁所在地の津市内、あとは開運が栄えた港町の白子の四箇所らしいね。
ご主人は地元にいて、江戸のお店は番頭さんに任せている。そして採用も地元からの奉公人に限っている。ほとんど明治から大正の恐慌あたりでつぶれたみたいだけど、今でもいくつか日本橋あたりに残っているね。
うん、紙の小津家とかね、これ小津監督の家系でもあるね。あとは国分とかにんべんもそうかな。川喜多家もそうだな、銀行頭取をやめて陶芸の道に進んだ川喜多半泥子もいたな。そういう意味で言えば、三井家の祖である三井高利も松阪だけどね。
すごいねぇ。今日は三重県知事やJR東日本の前社長さんも講演していたけど。
まあ、たいした話じゃなかったな。伊勢神宮のご遷宮もあるからキャンペーンしてるのね。「美し国」とか「おかげの国へようこそ」とか「まわりゃんせ」とかまあいろいろキャッチフレーズを考えてるね。
あの「御師」というのが面白いよね。おかげまいりを日本中にプロモートして。全国に講を組織して、道中の手配を全部やっちゃうのよね。
日本のほとんどを網羅していたんじゃないのかな。内宮、外宮あたりにあわせて600家ぐらいの御師がいたらしいけど、維新後に解体させられちゃったんだよな。もったいない。
どうして解体させられちゃったの?
それは明治になって国家が天皇を頭にして、神社関係を国家新道として再組織化したからさ。御師というのは伊勢だけじゃないけどね、でも伊勢の御師は家は○○大夫といわれてね、宿泊所も持ったり金融機能も持ったり、総合旅行・文化代理店機能として突出していたんだよ。
しばらく伊勢には行かないの?
いや、お墓もそちらにあるからね。それと伊勢のことも神宮のことも奥伊勢のこともそのほか伊勢商人なんかのことも、結局興味を持ったのは東京に来てからだからな。だから、まあこんな年齢になって、ようやくのように、歴史的な事跡や名所をもう一度回ってみたいなと思うな。
そうねぇ。今日も300人ぐらいシンポに招待されていたけど、おじさん一番若いぐらいだったよ(笑)。

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