サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 11544「再会の食卓」★★★★★★★★☆☆

2011年10月29日 | 座布団シネマ:さ行

中国と台湾の歴史に翻弄(ほんろう)された元夫婦の悲喜こもごもを描き、家族とはどうあるべきかを問い掛ける人間ドラマ。40数年前に妻と離ればなれになった台湾の老兵が、上海に新しい家族を持つ妻の元を訪ねたことから、家族それぞれの思いが浮き彫りになっていく様子を映し出す。監督は、『トゥヤーの結婚』で国際的な名声を得たワン・チュアンアン。第60回ベルリン国際映画祭の最優秀脚本賞にあたる銀熊賞を受賞した、深みのあるストーリーに感じ入る。[もっと詳しく]

「再会の食卓」は、誰にも何度か用意されていただろうに。

1911年に清国が打倒され、中国ではそれまで続いた君主制が廃止され、共和制国家となった。
これが「辛亥革命」だが、ここに「中華民国」が建国されることになる。
その後、この革命は
袁世凱によって鎮圧され、革命の中心人物である孫文は広州にあらたに護国政府を建国することになる。
つまり今年が「中華民国建国百周年」にあたるわけだ。
そういうこともあって、先日僕は国立博物館で展示された『孫文と梅屋庄吉展』に足を運んだ。
孫文らの革命への情熱や人脈が日本への留学時代にはぐくまれているのだが、梅屋庄吉というのはその「革命資金」のスポンサードの一人であり、経済人であり、かつ国士でもあった魅力的な人物である。
梅屋庄吉だけをとっても、その革命資金の援助額は、現在の金額にすればなんと1兆円に達する。
辛亥革命に至るまでにも、孫文らの革命運動はことごとく失敗に終わり、孫文も、単なる大法螺吹き、金食い虫と中傷されていた時期もあったのだ。



孫文の「三民主義」に代表される理想国家論の後継をめぐって、日本が敗戦になったあとの中国では、毛沢東率いる共産党と、蒋介石率いる国民党が内戦状態に入り、1949年には国民党は台湾にその拠点を後退させる事になる。
当時、台湾の人口は600万人であったが、国民党由来の政治家や官僚や公務員や軍人やその家族たちとともに半ば強制的につれてこられた一般兵士をあわせ200万人近くが台湾に入った。
それまでの台湾住民が内省人、大陸からの移住者が外省人と呼ばれることになる。
外省人はたちまち台湾の政治権力を支配し、金門島を防衛ラインに定め、以降現在まで中国本土との緊張が解けることはないのである。
とくに蒋介石から蒋経国を経て、1987年国民党が李登輝のリーダーシップに移るまでは、戒厳令をはじめとする規制は緩和されなかったのである。



『再会の食卓』という映画は、40年前に上海で生き別れとなった国民党の兵士と本土に残された女性が、再会する物語である。
元兵士は望郷の思いを胸に抱きつつ台湾で結婚をしたが、その妻も亡くなった。
一方、本土に残された女性は元兵士の子どもを抱えており死ぬや生きるやであったが、そんな彼女に手を差し伸べたのが現在の夫である。
夫は国民党の縁故者と結ばれたと言うことで出世の道は閉ざされ、また文化大革命の際には「国民党」関係者と言うことで、糾弾の対象にもなってきた。
そんな苦労の末に、子どもも育て上げて上海の都市化政策のなかで高層住宅に移転することになっている矢先に、突然のように元兵士からの手紙が届けられた。
上海訪問団とともに訪れるので「ぜひ会いたい」というものだった。
元兵士は許されれば、女性を台湾に連れて行き、残りの人生を連れ添いたいと思っている。
子どもたちは猛反対するが、夫はそれを受け入れると言う。
そして彼女は、元兵士と夫との間で気持ちが揺らぐ。
そんな三人の「再会の食卓」なのである。



一般的に考えれば、その元兵士から、なぜ40年間も音沙汰がなかったのだ、ということになる。
けれども、中国と台湾の事情を少しでも知るものにとっては、それもまた歴史の転換に個人では抗しえなかった事情のありうべきことだと了解することだろう。
国民党が台湾に後退してから、李登輝の政権までに40年近くがかかっており、この作品の時代背景はようやくにしてその緩和策のなかで中国の地に一般兵士が訪中団としてなら、足を踏み入れられるようになった頃の物語だからだ。
中国から台湾に移った外省人は「栄誉国民=栄民」と呼ばれている。
栄民たちには、本土に戻る際の約束として「戦士援田証」なるものが発給され、戻ったら米が年間2000kg生産出来る土地を与えると約束されたのだ。
もちろんその約束は空手形に終わらざるを得ず、国民党政府はある時期にその「証書」を回収し、生涯にわたる「恩給」を支給することになった。



彼ら「栄民」は出身地(部隊)ごとに村を提供され、そこで独特の世界を作り上げるようになった。
この映画の元兵士のように、上海語をほとんどしゃべらなくなっていることも不思議ではない。
そのコミュニティが「眷村」と言われているものだ。
初期には、日本の統治時代の日本式の家屋が主として提供されたりした。
もしかしたら、『再会の食卓』の老兵士もその「眷村」で生活していたのかもしれない。
こうした「眷村」は現在でも台湾に800から900あるとされているが、もちろん兵士の大半は死亡したりかなり老いたりしている。
彼らの生涯恩給目当てに、中国本土から娘たちが政略結婚あるいは養子縁組として財産を狙いに入り込むのが社会問題になっているとも聞く。
また、老朽化した家屋が、台湾の国土政策を阻害しているという問題も起きているようだ。
当然、老兵士は故郷を思いながら独身を貫くものもおり、外省人同士あるいは内省人と結婚し、家族を営むものもいる。



監督はワン・チュアンアン。
『トゥヤーの結婚』(06年)では内モンゴル自治区のたくましい女性にフォーカスを当て、ベルリン国際映画祭で最高賞にあたる金熊賞を得た。
そして今回の『再会の食卓』でも、最高脚本賞にあたる銀熊賞を受賞している。
監督は上海のニュースである「台湾老兵」の記事に接して、この作品の構想につながったという。
脚本は女性脚本家のナ・ジン、撮影監督はドイツ人カメラマンのルッツ・ライテマイヤー。
三人の老俳優たちの演技が素晴らしい。
ちょっとアン・リー監督の「家族物語」のタッチを思い出させられたりするが、ヒロインのルサ・リーは、アン・リー監督の『ラスト、コーション』(07年)にも出演していたベテラン俳優である。
元兵士役のリ・フォンは実際に中国と台湾の架け橋になる事業に携わっている著名人ということだ。
夫役のシュー・ツァイゲンは、風雪に耐えた庶民の優しさ、人の良さを見事に演じている。



いつの時代にも、多くの庶民が、歴史の苛酷に巻き込まれることになる。
どんな小さい家族も、多かれ少なかれそのことを免れることは出来ない。
林立する高層ビル、工事現場の騒音、しかし裏道では路上に洗濯物が無秩序に干されている。
家族はここ上海でもだんだん核家族化している。
テーブル一杯に拡げられた料理。約束していた家族は来ない。
それでも老主人は言う。
「さあ、食べよう、残さず食べるのだ」
これは、上海のとても小さい家族のひとつのお話。
しかし、本当は日本に住むこの僕たちにも、「再会の食卓」は何度も用意されていたかもしれない。
そんな食卓にほとんど並ぶことがなかった僕は、祖父母をなくし、両親をなくし、もう親戚づきあいもほとんどない現在を生きている。
「さ、食べよう、残さず食べるのだ」と言っていたかもしれない、誰かを懐かしみながら
・・・。

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