サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

ミニシアター/高野悦子(岩波ホール総支配人)/83歳

2013年02月14日 | 毎日がメメント・モリ

高野悦子さん死去=岩波ホール総支配人―埋もれた名画の公開に尽力・83歳

時事通信 2月14日(木)13時47分配信

 岩波ホール総支配人の高野悦子(たかの・えつこ)さんが9日午後2時41分、大腸がんのため東京都文京区の病院で死去した。83歳だった。中国東北部(旧満州)生まれ。葬儀は近親者で済ませた。喪主はめいで同ホール支配人の岩波律子(いわなみ・りつこ)さん。後日お別れの会を開く。
 日本女子大卒業後、東宝に勤務。パリ留学などを経て、1968年に設立された岩波ホールの総支配人に就任した。74年に川喜多かしこさんと共に「エキプ・ド・シネマ」運動を始め、日本で未公開だった欧州やアジアなどの埋もれた名画の公開に尽力。主な公開作にインドのサタジット・レイの「大地のうた」、スウェーデンのイングマール・ベルイマンの「ある結婚の風景」、ギリシャのテオ・アンゲロプロスの「旅芸人の記録」、黒木和雄の「父と暮せば」などがある。
 東京国立近代美術館フィルムセンターの初代名誉館長や東京国際女性映画祭ジェネラルプロデューサーを務めた他、「シネマ人間紀行」などエッセイストとしても活躍。2004年、文化功労者に認定された。

日本での映画運動を語るとき、ふたりの女性が欠かせない。
ひとりは、夫長政とともに現東宝東和でヨーロッパ映画の買い付けに奔走し、映画界の財産を守るために国立フィルムセンター設立に尽くした川喜田かしこである。

もうひとりは彼女より20歳ほど下だが、東宝に入社後、監督を目指してパリに留学し、帰国後岩波ホールの総支配人に任命された高野悦子である。もちろん、岩波雄二郎の義理の妹であったことが大きな理由だろうが。

このふたりが組んだのが、岩波ホールの「エキプドシネマ」運動。
その第1号上映作品がインドの映像作家サタジット・レイの『大樹のうた』であり1974年、僕の大学生の頃である。もちろん上京に合わせ、僕はこけら落としのこの作品を見ている。

その後も、デモやぶらぶら旅や東京に進学した同窓宅に潜り込んだりするたびに、つまり上京すると必ずのように岩波ホールに出向くようになった。
ミニシアターの代表格であったこの岩波ホールの上映作品のポスター展があれば、それだけで、 また自分のその後の人生のどの時期にどの作品と出会ってなにを感じたのか、おしゃべりな僕は延々としゃべりだすに違いない。

ミニシアターはどんどんつぶれている。
それでも世界にはまだまだ埋もれた作品は多くあるはずだ。
高野悦子は最後まで独身を貫き、映画運動に身を捧げたのだった・・・合掌!

 


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