京都を舞台に激動の時代に翻弄(ほんろう)されながらも、老舗の映画館を守り続けた男女の純愛と奇跡を描く感動ドラマ。浅田次郎の「鉄道員(ぽっぽや)」最終編に所収されている同名小説を、『ジェニファ 涙石の恋』の三枝健起監督が映像化。主演は『たそがれ清兵衛』の宮沢りえと『硫黄島からの手紙』の加瀬亮。貧乏に耐えながら映画館を守り続け、映画への明かりをともし続けた2人の固いきずなが感動を呼ぶ。[もっと詳しく]
宮沢りえという稀代の女優の、これからが楽しみでしょうがない。
宮沢りえの細やかなけれどやはり女優として華のある絵姿をみていると、僕の中では、この女優さんは、どこかで吉永小百合のようなポシジョンに進む人なのかもしれないな、と思うことがある。
吉永小百合は1945年生まれ。宮沢りえの生まれた1973年は、ちょうどフジテレビの15歳年上にあたるディレクター岡田氏と結婚し、僕もその末席に連なるかもしれないが、サユリストを唖然とさせた年である。
年齢差は30年弱あるが、ふたりとも、幼くしてデヴューした。
吉永小百合は小学校6年生で、赤胴鈴之助でデヴュー。
高校在学中に「キューポラのある街」でヒロインになり、「寒い朝」で20万枚のレコードデヴュー。
その年に、橋幸夫とのデュエットで30万枚のヒットとなった「いつでも夢を」で日本レコード大賞を受賞。映画では、浜田光男とコンビを組み、日活の清純派女優として、のぼりつめた。
宮沢りえも芸能界は11歳でモデルレヴュー。
ほどなく三井リハウスの初代白鳥麗子役に起用され、大ブームを巻き起こした。
89年には初出演映画「ぼくらの七日間戦争」で、早くも日本アカデミー賞新人賞を獲得している。
91年には篠山紀信撮影で「サンタフェ」を上梓、150万部の空前絶後の大ヒットとなり、私生活では翌年の貴花田との婚約~婚約解消という事件につながっていく。
この二人とも、ステージママの存在、そのくびきを自分で振り払うために、その自立への過程において、相当な苦しみを味わったように見える。
吉永小百合は、清純派のイメージから脱却するために、さまざまな苦労もあった。
大検を取得し、早稲田大学第2文学部(夜間部)に進学、4年間で次席で卒業している。
結婚問題では親の猛反対にあい、仕事も減り、ようやく清純派を脱皮できたのは75年「青春の門」の演技であったといわれている。
そして、81年からNHKドラマ「夢千代日記」で話題を呼び、映画でも85年「おはん」「天国の門」の演技で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞している。吉永小百合40歳の時であった。
その後は、仕事を選びながら、記憶に残る作品への出演はコンスタントに続き、130作を超える映画出演で、大女優という地位を不動のものにしたのである。
一方、宮沢りえも婚約解消後はマスコミの餌食とされるような日々が続き、自殺未遂事件、拒食症による劇痩せなども相俟って、芸能活動を休止する日々が続いた。
03年「たそがれ清兵衛」の演技で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。以降は、評価の高い役者人生を続けている。
「オリヲン座からの招待状」は、浅田次郎「鉄道員」に所収された、たった30数頁の短編を、映画化したものである。
京都西陣、豊田松蔵(宇崎竜童)が戦争から戻り、昭和25年に開館した「オリヲン座」。
妻トヨ(宮沢りえ→中原ひとみ)と夫婦でつつましく開いていた街の小さな映画館である。
昭和32年のこと、大津から食うや食わずで家出してきた17歳の少年仙波留吉(加瀬亮→原田芳雄)に懇願され、住込みを許すことになる。
数年後、松蔵は死を迎えるが、留吉とトヨは遺志を次いで、「オリヲン座」を続けることを決意する。
テレビの登場で映画は次第に冬の時代に入り、また美貌のトヨと留吉の仲をやっかんだりこころよく思わない周囲の視線に耐えながらも、「オリヲン座」は守られた。
スタートから50年、トヨも衰弱する中で、「オリヲン座」の閉幕公演の案内が常連に届くのだが・・・。
この「オリヲン座からの招待状」は、昭和30年代の京都西陣の街並みをとても丁寧にセットとして、拵え挙げている。
日活スタジオにセットされた「オリヲン座」、その小道具の数々も、この年代に幼い時を過ごした僕たちの淡い記憶をくすぐるように出来ている。
映画館の中や、豊田の家の造形だけでなく、西陣織のはぎれや、蚊帳の中の儚い蛍も、情緒をくすぐるようになっている。
監督は三枝健起。この人は、NHKで「新日本紀行」などのドキュメンタリーの制作にかかわっていた。
93年には、宮沢りえを主役に「青春牡丹灯篭」というドラマも手がけている。
99年に「羅生門」のリメイク「MISTY」で映画監督として、デヴューもしている。
とても、生真面目で、細部にこだわる人なのだろう。
あまりにも、静かでつつましやかで禁欲的で素朴で小さな世界の叙述に、僕たちはどこかに置き忘れてきたような世界の残り香をかいで、ため息をついてしまう。
映画としての活力やトリッキーな仕掛けや高鳴る胸の興奮などどこにもない。
多くの観客には退屈を覚えるような展開であり構成なのだが、そのことを恨む気にはなれない。
こういう映画もあってもいいか、とどこかで納得している自分がいる。
原作短編をかなり変更しつつ、あらたなエピソードも付け加えている。
けれど、この作品の本質は、松蔵が亡くなって以降の、未亡人トヨと使用人留吉の、プラトニックな情念のあるかないかの淡い交錯の仕方におかれている。
そのことに、宮沢りえと加瀬亮は、全力で神経を注いでいるのが、よくわかる。
トヨはどこかで松蔵の死を予感している。そして、弟子に当たる留吉に、若き日の松蔵の面影が重なって見えるときもある。
両親もなくし、ホームレスのような形で「オリヲン座」に行き着いた留吉にとって、映画館を続けていくこと、トヨといっしょに守り続けていくこと以外に、世界はなにもなかった。もちろん他の女性に、想いを寄せることもなかっただろう。
映画館というのは、盆も正月も、庶民がようやくの休みを取れるときであっても、だからこそ、開けておかなければならないものだからだ。
留吉にとっては、トヨは「姐さん」である。トヨにとっては、留吉は使用人である。
けれど、家族や夫婦やといったものは、別に制度でもなく、血のつながりでもなく、ある意味では性愛でもなく、日常の同じような時間を厭きもせずそんなことを考えることもなく、ただただ時間を共にすることである、という言い方だってできるはずだ。
ここには、西欧風のハグもなく、アイラブユーの告白もなく、いまどきのじゃれあいも存在しない。
詰りあいや、性格の葛藤や、意見の応酬も存在しない。
「無法松の一生」で純な主人公が未亡人に想いを不器用に告白するような、そんなこともただ幻想の中にだけ、存在したのかもしれない。
閉鎖する映画館という主題では、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の「ニュー・シネマ・パラダイス」(89年)や佐々部清監督の「カーテンコール」(04年)をすぐに思い出すことになる。
けれど、「オリヲン座からの招待状」という作品は、もっともっと閉じられた世界の誰も気づかないようなところで、あるいは時間が止まってしまったような取り残された世界で生起する、ピュアな男女の物語である。
松蔵の葬式の後、松蔵の面影に涙するトヨは、その落ち込んだ気持ちを振り払うように、留吉に「どこか行こうか」と言う。
ふたりは公園に来て、トヨは留吉の自転車を漕ぎ出す。風を感じて、気持ちが良さそうだ。
留吉は、はじめてみるであろう、トヨの少女のような軽やかな身のこなしを、茫然と見守っている。
きっとここから、俗世間を超越した「愛」が、始まっている。
あるいは、もっと前かもしれない。
自分も先が長くないことを予感している松蔵は、トヨと留吉を連れて、写真館に行く。
松蔵は、留吉に自分の愛用の帽子をかぶせてやる。
3人で、睦まじく、記念写真に納まる。
1枚だけ、トヨの笑顔が消えている。
もしかしたら、このときに、トヨにはこの先のことが、ぼんやりと感知されていたのかもしれない。
あるいは、もっと後かもしれない。
8ミリフィルムで留吉がおどけて無法松のように乱れ太鼓を打つ姿をフィルムに映しながら、トヨには松蔵と留吉が重なって視えたのかも知れない。
吉永小百合の現在にいたる出演作品群と彼女の生き方を思いながら、僕は宮沢りえという稀代の女優が、この先自分の人生と役者としての自分をどのように重ね合わせていくのか、とても楽しみだ。
kimion20002000の関連blog
「父と暮らせば」
「トニー滝谷」
「カーテンコール」
僕も育った町に、3軒の小さな映画館がありました。
ドキドキしながら、暗闇に佇んでいたことをよく覚えています。
これは試写会が当たった数少ない作品で、試写会を含めて3回観に出かけました。
浅田次郎ファンで、加瀬亮ファンということもありましたが、
親に大きな50円玉をもらって観に行った、昭和40年代初めの映画館の雰囲気や、
懐かしい昭和の生活を、嫌味なく描いてくれたことが嬉しかったこともあります。
同じ日に公開された、もう1つの昭和の作品が大人気でしたが、
わたしは、西陣の片隅で、肩を寄せ合って生きるこのお話の世界が好きでした。
昔はどこの町にも、名画館があったものですけどね。
だけど、半世紀続けるって、大変なことですね。
年中無休でしょうし・・・。
派手さはない映画なのに
すごく印象に残っている部分もあり
底力のある作品なのだと思いました。
オリヲン座の招待客を前に
留吉がオリヲン座の閉館を謝るシーンは
感動的でした。
目の前に与えられた仕事を
頑張るのが当たり前だった時代。
人は皆強かったのだなと思いました。
流行りものに流されない宮沢りえさんという女優。
おっしゃるとおり稀代の女優さんだと思います。
はは、そうですね。
顔の骨格が、まるで違いますものねぇ。
宮沢りえちゃん→中原ひとみさんはとても納得だったのですが、加瀬くん→原田芳雄さんのイメージがどうしても繋がらなくてちょっと残念でした。