村上春樹の短編「トニー滝谷」を『つぐみ』『竜馬の妻とその夫と愛人』の市川準監督が映画化した作品。主演はイッセー尾形、宮沢りえ。第57回ロカルノ国際映画祭で、審査員特別賞、国際批評家連盟賞、ヤング審査員賞とトリプル受賞をはたした作品。[もっと詳しく]
英語の字幕を見やりながら、デラシネな孤独を思い遣った。
邦画を鑑賞するに際して、僕としては、初めてのちょっとした体験をした。
この「トニー滝谷」という作品は、DVDで鑑賞したわけだが、英語の字幕というものを、体験してみたのだ。
理由は単純だ。1996年出版の「レキシントンの幽霊」所収の村上春樹の短編「トニー滝谷」が原作なわけだが、とても、淡々としたスケッチのような作品であり、小説中の会話も独白に近い。
この作品は、第57回ロカルノ国際映画賞で、審査員特別賞、国際批評家連盟賞、ヤング審査員賞を受賞した。海外の評価でスタートしている。
原作の村上春樹は、現在、もっとも世界で支持されている日本の作家であることは疑いないし、知名度も高い。
市川準は、CM作家であるときから、その非凡さは抜きん出ていた。1985年には、カンヌ国際広告映画祭で金賞をとっている。映画監督になって以降も、1995年「東京兄妹」で第45回ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞、1997年「東京夜曲」で第21回モントリオール世界映画祭最優秀監督賞を受賞している。
イッセー尾形は、1993年ニューヨーク公演以来、海外巡業が多い。ヨーロッパにも、熱狂的ファンが多いと聞く。最近では、ロシア映画「ソンツェ(太陽)」で、昭和天皇役で主演し、ベルリン国際映画祭でも上映された。
宮沢りえは、2000年、香港ユン・ファン監督に招請され「華の愛」に主演、モスクワ国際映画賞で主演女優賞に輝いている。
音楽の坂本龍一はいまさらいうまでもない。「世界の教授」である 。映画音楽の受賞も、数多い。
写真に広川泰士の名前を見つけたときは嬉しかった。彼の個展、展覧会は、世界各国で開催されている。もっとも、世界に知られた日本人フォトグラファーの一人であろう。
この作品に結集したスタッフは、一人ひとりが世界性をすでに獲得している。
そして、この作品は、現実世界からある意味で浮遊しており、この舞台と物語のシチュエーションは、先進的な資本主義であればどこでも通用する普遍性を持っている。抽象度が高いといいかえてもいいかもしれない。
そこでは、話されるのが日本語であり、場所が日本のどこかである必然は、すでになくなっている様に思える。
語学的には小学生並みの能力しか持ち合わせない僕だが、字幕を目で捉えながら、左から右に水平に流れる独特の映像フレームを眺めていると、不思議な、重力のない世界に、入っていくような気がしたのである。
西島秀俊のナレーション、そしてそのナレーションを受け継ぐように、イッセー尾形、宮沢りえの、それぞれが二役の、二人芝居が続く。
そこに、英文のシンプルな字幕が横切っていく。一瞬、どの時代のどこにいるのかが、曖昧としてくる。
昭和10年代に上海に渡りナイトクラブでトロンボーンを演奏しながら、戦争をやりすごした滝谷省三郎。
独房で、銃殺刑の恐怖に震えながらも、なんとか日本に戻るが、空襲で家族はすべて亡くなっている。結婚して、トニーが生まれるが、母親は3日後に亡くなる。
省三郎は、バンドを率いてドサ周りの毎日。めったにトニーの元に、戻らない。
一方でトニーは、誰も恃まず、ひとりで、生きてきた。
幼い頃からの得意は、メカニカルな写生。デザイン会社で重宝され、フリーのイラストレーターとなっても、エアブラシで吹きつけをしながら、なにやら、スーパーリアリズム風の細密画で成功している様子である。
トニーの事務所に仕事の依頼に来た編集者の小沼英子に、トニーは惹かれる。
15歳も下。たぶん、はじめての恋心。
その人は、「服を着るために生まれて来たような人」だった。
二人は結婚し幸せな時を過ごすが、英子の洋服依存症はますますひどくなり、専用クローゼットもすぐに満杯になる。我慢しなくては、と返品した洋服のことが気になって注意力が散漫になった英子は、交通事故で死亡する。
抜け殻となったトニーは、英子と同じサイズの秘書を募集する。
英子の代わりに、クローゼットから洋服を取り出して、制服代わりに着てくれという条件をつけて。そこに、ひさこが応募してくるのだが・・・。
省三郎とトニー(イッセー尾形の一人二役)は、どちらも孤塁を守っている。
省三郎は、戦争そのものをやり過ごした。そして、旧いスタイルのジャズ・バンドに明け暮れる。
トニーも、芸術とかイデオロギーとか、そんなものは、未熟で醜く不正確である、ということで拒否する。
年齢的には、政治的興奮の世代であるのだが。できれば、誰にも、かかわりたくない。
そこでは、この親子は、デラシネであり、醒めている。
一見すると、陰と陽にも見えるが、人や世界との距離のとり方においては、きわめて共通の遺伝子(資質)を持っている。
そこにあらわれた英子は、もっとも繊細な表現であり思想であるファッション(衣服)の魔力にとり付かれている。
自分に着られるのを待っている衣服たち。
それは、衣服という直裁な欲望の世界に、身体を開いていく行為だ。視られるために在る身体。
過剰に、衣服に、つきあっていく英子も、トニーとは、逆のベクトルで、孤独の淵を、その病理を感じさせる。
英子はトニーに愛でられるのと同じぐらい、衣服という「物神」に愛でられているといってもいい。
英子の代替として登場したひさこ(英子とひさこは宮沢りえの一人二役)は、英子のクローゼットに入り、膨大な数の衣服が語りかけてくるものに、圧倒され、泣き出してしまう。
サイズが奇蹟のようにぴったりだ。英子と相似している。
トニーは、恐怖し、依頼をいったん取り止めることにする。 そして、英子の衣服と、亡くなった省三郎が遺したジャズのレコードを処分する。もう、完全に、自分と世界とをつなぐものはない。
省三郎が中国の牢獄で、死刑宣告を待っていたと同じように、トニーは、空虚なクローゼットに横たわる。
市川監督は、小劇場のようなシンプルな舞台を高台の空き地に建て、アングルと飾り付けの変化だけで、場面をつくりあげた。また、プリントは脱色され、浅い色調で統一された。
静謐さ。音楽も、カメラワークも、会話も、仕種も。この静謐さの中で、世界の底を覗き込むような、どこにもいけず佇むしかないような、孤独が浮遊している。
「あなたの絵は、うまいんだけれど、体温が感じられない」
「あなたは、面白みのない、男だなあ」
トニー滝谷は、そんなことをいわれても、平気だった。
だけど、ちょっと、孤独の果てで、一歩、踏み出してみようと思いはじめている。
不器用に、身体は強張っている。ひさこにもう一度、連絡をとろうとする。もう、英子の着せ替えではない。
たぶん、はじめての自分の中から希求する行為。
かすかな、希望が、萌え始めている。
英語の字幕で観るというのは変わった見方ですね。淡々とした独特の世界に英語の字幕が入るのは面白そうな空間ですね。
語学弱いんだけど(笑)、ほとんどナレーションの英訳のようなものだから。不思議な感じでしたね。
>PocketWamerさん
この二人は、演技がうまいですね。演出というより、役者のなりきりということを感じさせます。
この映画、私も面白く見ました^^私が見たのは冬だったので、季節柄、今ならぴったりな感じで見れそうですね。英語字幕でなんて、すごいですー!!
PS 蝉しぐれ見ました(^_^)/ 近く感想をアップしますね。kimion20002000さんのレビューは無いのかな?って昨日検索窓でやってみたのですが、ヒットしなくて・・・感想文書かれていらっしゃらなかったのかしら・・・
こちらからもTBさせてもらっちゃいますネ^^
「蝉しぐれ」は、映画館でみました。
ちょっと、書こうか、迷っているところ。他にも、書けてない映画のほうが多いけど。
僕は、藤枝作品の山田洋次の2作が、駄目だなと思っていたんです。それより、この蝉しぐれの方が、ずっといいよな、と。世間の評判と逆です。
なぜ、そうなのか、ということをぼんやりと考えているところなんです(笑)
もう一回見直そうと思ってはいるんだケド、
気分が乗らないし、、、
なんか微妙な映画でした。
TBありがとうございました!
僕も、村上春樹は、ほぼもれなく追っかけてきたつもりです。映画化は、本人が、許諾していないのか、挑戦する奴がいないのか、少ないですねぇ。まあ、なあか、誰が映画しても、いろんなこと、言われてるからなあ、しり込みしてたりして・・・(笑)
はい、それが正しい反応です。所詮、芸術映画ですから。もう一度、みる時間があるなら、元気のあるタイ活劇でも、みたほうがいいんじゃないの(笑)
TBありがとうございました!