姪っ子メグ 今週の初めは、なんかいきなり東京にしてはかなりの雪が降ったね。
キミオン叔父 朝さ、外を見たら真っ白なんで、俺は寝惚けているのかと思ったよ。
あたし、もうその日は、外に出かけずに、おこたに入ってビデオばかり見ていたよ。
オジサンは、昔雪かきしていてぎっくり腰になったんで、家の前とか、早く溶けろ!溶けろ!と(笑)。まあ、北国の人から見たら、軟弱者のセリフだね。
でもあたしも雪は駄目だなぁ。そうかといって、南国でギラギラ太陽というのもなんだか。雨ばっかり降っている金沢なんかも陰鬱になるし、乾燥地帯では寂しくなる。まあ、温暖な日本の正しい里山が近くにあって、天体観測も出来るし街にもすぐ出て行けるという、のんびりした郊外が住むにはいいかな。超軟弱ね(笑)。
カナダに研究留学に行くといってたくせに。
今日は、展覧会じゃなくて、東京都写真美術館でやっている映画のほうに。『父をめぐる旅ー異才の日本画家・中村正義の生涯』。
日本画なんてもともとあんまり興味がなくてさ、この十年ぐらいかな、奇想の画家に触発されて、琳派・土佐派・狩野派の流れから浮世絵やにつながってきて、明治以降の挿絵や美人画にいたる系譜や、岡倉天心、フェノロサあたりの日本再発見に興味を持ってきた。
でも相変わらず、日展とか院展とか、上野公園あたりに表示が出ていてもまったく興味もないし、号あたりいくらだとか芸術褒章がどうだとか関心がない。
中村正義は戦後日本画で彗星のように登場したのね。22歳で日展入選、26歳で特選受賞、天才日本画家速水御舟の再来とも言われ、36歳で日展審査員に。若くして、中村岳陵に入門したのね。
日本画の重鎮の一人だね。古典的な題材のシリーズもあったし、川を全裸の女性がうつぶせのような感じで流れていくような絵や、職業婦人の少し洋画的な要素を取り入れたシリーズもあるし、よく見かける人だね。でも、その岳陵に真っ向から対立する。
映画では四天王寺の壁画を任された岳陵が、塾生をあまりにひどくこき使ったことについに堪忍袋の緒が切れたというようになっているけど。日展を脱退し、真の芸術を求めてゆく。でも、やくざの破門状みたいなもので、古い美術界はとことんこの異端児に圧力をかけつぶそうとする。
映画でも、老舗の代表のような三越のサロンが中村正義展を勇敢にも企画した時、とんでもないことだと喧々諤々となったエピソードをいれてたもんね。あと、亡くなる何年か前には、日展に対抗して、東京展を立ち上げる事務局長として走り回る。しかも開催日を日展に併せて、真っ向から喧嘩を売っている。
「写楽に、ピカソに、ゴーギャンに、ウォーホールさえ、ぶっ飛ばした天才画家!」と謳われているけど、いやあ、あらためてびっくりしたね。今村昌平と組んだ映画の美術もすごい。ある意味で横尾忠則さんに先行している様に思えるね。ご本人の画家の立場から見た「写楽研究」もすごい徹底度。
この映画の監督兼プロデューサーである武重邦夫さんは、もともと今村昌平さんの作品のプロデューサーの方。彼は28歳の時、今村昌平41歳、そして43歳の中村正義に「写楽の映画をやりたい」と口説かれているのね。それで、その夢は果たせずに、正義さんの死後ずっとたって、娘の中村倫子さんがお父さんの作品を守って、自宅に個人美術館を建てていることを知り、中村作品に再開する。その娘さんも、もう父親が死んだ年を超えている。それで、武重さんが思わず、中村正義をめぐる旅をしよう、と娘さんに持ちかけることになったのね。
娘さんがすごくいいね。父の絵を整理しながら、それぞれの絵が、どこでどのような状況で描かれたのか、当時を知る関係者を訪問していく。それを淡々とカメラが追い続けている。なんかさ、最後の方はボロボロ泣けてきちゃったよ。
おじさん、今度中村正義の美術館に行きましょうよ。読売ランドの方よね。冬場はお休みみたいだから春先になって。でも、とても激しく孤高に生きた人だけど、すごく美男子だよねぇ。奥さんの昔の写真も美人だし、お年をめしてもどこか気品がある。そして娘さん。小さなオカッパ頭の娘さんをいとおしそうに見つめる中村正義の目が、その時はすごく優しいの。
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