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サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

憧れの・・・/石本美由紀(作詞家)/85歳

2009年05月27日 | 毎日がメメント・モリ

訃報 「悲しい酒」の作詞家、石本美由起さん 85歳


5月27日12時33分配信 毎日新聞




訃報
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石本美由起さん=1999年撮影
 「港町十三番地」「憧れのハワイ航路」など数々のヒット曲を手がけた作詞家の石本美由起(いしもと・みゆき、本名・美幸=みゆき)さんが27日午前0時50分、横浜市内の病院で心不全のため死去した。85歳。葬儀は近親者で行い、お別れの会を後日開く予定。喪主は長男望美(のぞみ)さん。

 広島県生まれ。歌謡同人誌に投稿した詩「長崎のザボン売り」が認められ、1948年に小畑実さんが歌って大ヒット。これをきっかけに作詞家としてデビューし、キングレコードの専属になった。その後、すぐにコロムビアレコードに移った。

 作曲家の上原げんとさん、古賀政男さん、船村徹さん、市川昭介さんらとコンビを組み、精力的に作詞活動を展開。美空ひばりさん、こまどり姉妹、都はるみさんら、多くの歌手に楽曲を提供した。

 作詞を手がけ、細川たかしさんが歌った「矢切の渡し」、五木ひろしさんが歌った「長良川艶歌」が83、84年と2年続けて日本レコード大賞を受賞した。

 日本作詩家協会会長、日本音楽著作権協会理事長なども務め、カラオケ設置店からの楽曲使用料徴収などにも取り組んだ。

 ◇戦後日本の歌謡史

 日本作詩家協会会長・湯川れい子さんの話 日本の情緒を描写できる代表的作詩家でした。大変視野の広い方で、戦後日本の歌謡史そのものといっていい方でした。

◇石本美由起さんの主な作品と歌手

長崎のザボン売り(48年)=小畑実

憧れのハワイ航路(同)=岡晴夫

憧れの東京(51年)=藤山一郎

青春ラプソディ(52年)= 同

ひばりのマドロスさん(54年)=美空ひばり

柿の木坂の家(57年)=青木光一

港町十三番地(同)=美空ひばり

ソーラン渡り鳥(61年)=こまどり姉妹

悲しい酒(66年)=美空ひばり

人生一路(70年)=  同  

哀愁の旅路(72年)=都はるみ

矢切の渡し(83年)=細川たかし

もちろん、石本美由紀といえば、美空ひばりなのではあるが、僕の中では岡春夫の「憧れのハワイ航路」もよく歌った思い出の曲である。
この曲は1948年であるから戦後すぐのヒット曲であり、もちろん僕の生まれる前である。
ほんとうに時々なのだが、まだ8トラックの音曲が流れているような、ばあさんと娘さん(といってもばあさん)がやっている小料理屋に行くことがある。
僕が、三橋美智也やフランク永井などを歌うと、「若い人はいいねえ」などと冷やかされるのである。
そこでの会話のほとんどは、戦後のあれこれであり、せいぜいが東京オリンピックや美智子妃の話であり、テレビというよりラジオ文化の世界なのである。
その小料理屋のおかみはもう90歳過ぎで、娘さんも70代なのだが、お客さんと最後に合唱するのは、きまってこの「憧れのハワイ航路」なのである。
「おかみさん、ハワイは行ったことあるの?」と聞くと、「あるわけないじゃないの、だから憧れなのよ」と、少女のように初々しく、答えてくれるのだった・・・合掌!


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