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子役として一世を風靡したシャーリー・テンプルが死去、享年85歳
マイナビニュース 2月13日(木)14時41分配信
子役として一世を風靡したシャーリー・テンプル・ブラックが10日、カリフォルニア州ウッドサイドの自宅で老衰のため死去した。85歳だった。彼女の代理人が認めている。
シャーリーの家族は声明文で「シャーリーは家族と手伝いのスタッフにみとられました。私たちは、シャーリーの女優や大使としての類を見ない成功や貢献に対して、そしてだれからも愛される母親、祖母、曽祖母であったことに対して敬意を表します」と述べている。
シャーリーは、1935年に3歳で初めて映画に出演。6歳で受賞した「アカデミー賞」特別賞で史上最年少の受賞者となり、いまだにこの記録を保持している。『輝く瞳』(1934年)、『スタンドアップ・アンド・チアー』(1934年)、『テンプルちゃんお芽出度う』(1935年)など、43作品を超える映画に出演したチャーリーだが、成人してからの活躍は思わしくなく、1950年に映画界から引退。その後はテレビにのみ出演していた。そして、女優業を引退後、シャーリーはアメリカ特命全権大使としてガーナとチェコスロバキアに駐在した。
1945年には17歳という若さでジョン・エイガーと結婚。リンダという娘をもうけているが、4年後に離婚している。その後1950年にチャールズ・アルデン・ブラックと再婚し、息子のチャールズ・ジュニアと娘のロリをもうけた。この結婚は、2005年にチャールズが骨髄異形成症候群で亡くなるまで、54年間続いていた。
子役スターは世界中にいたが、実際のところシャーリー・テンプルほど知名度があり影響力のあった子役スターはいない。
今でも人気投票をすると、トップを争うのだ。
彼女がスターになったのは1930年代であるが、それはアメリカの「夢」そのものの体現であった。
アメリカには問題は多いが、もし今でもアメリカの「夢」というものが語られるとしたら、もしかしたらイメージとしてテンプルちゃんがその半分ぐらいを占めるかもしれない。
かといって、僕などが生まれる頃には、もう彼女の芸能活動も終わり、結婚生活でいろいろ話題にはなるが、現役のアイドルではなかった。
しかし日本でも戦前の少女たちにとって「金髪・巻毛」のテンプルちゃんは少女雑誌などを通じて、「ハイカラ」の象徴でもあり知らない子はいなかっただろう。
実際にテレビや映画を見たかどうかは、別にして。
それは僕の母や姉もそうであったろうし、小学校の同級生のある女の子は、自分をテンプルちゃんになぞらえていたのをよく覚えている。
大人気であった松本かつぢの挿絵の少女や日本のもっとも古い少女マンガという説もある「くるくるクルミちゃん」を弥生美術館で見た僕は、思わず「テンプルちゃんだ!」と思ってしまった。
当たり前だが戦前で、僕も僕の兄弟も、まだ生まれてもいない頃の作品なのに。
とにかく、アメリカのエンタテイメントの世界でも、シャーリー・テンプルほど たった6歳にしてなのだが、人気を博した女性はいなかったし、現在の20世紀FOXがあるのもテンプル人気のおかげとさえ、言われている。
年を取ってからも、外交官の仕事などでテンプル伝説は続くことになる。
ワスプの家系に生まれた彼女だが、そうしたアメリカの「夢」の伝説の最後が、消え果てたのかもしれない。
もう、現在のような多様性を意識しないといけない世界では、テンプルちゃんのような出自の少女にスポットライトを過剰に当てることさえ、慎まれるようになっている。
ディズニー映画のヒロインの選択が、多くそうであるように。
シャーリー・テンプルの訃報を聞いて、ため息をもらした人は、世界中にいったい何億人いることだろうか・・・合掌!
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