サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

355日目「挿絵画壇の重鎮 濱野彰親展/モノクロームへの眼差し(弥生美術館)」東大前

2013年01月12日 | 姪っ子メグとお出かけ

姪っ子メグ 夢二美術館の方は、「見知らぬ世界を求めてー旅人・竹久夢二 旅、恋、異国への憧れ」と題してるね。夢二ゆかりの記念館ってあちこちにあるもんね。
キミオン叔父 もともとは岡山県本庄村の生まれ。 もちろんここにも夢二郷土美術館がある。本庄というのは穏やかでいいところなんだな。酒造業の事実上の長男だったから、裕福だったんだろう。交通の要衝でもあったから、ここで幼い夢二は、牧歌的な自然に育まれるとともに、旅芸人の一座とかが行き来するのを目にする。お母さんっ子だったけど、後の夢二のモチーフが故郷に多くあるね。
 十五、六歳の頃に、家の都合で神戸や福岡に転居するけど、17歳で家出して単身上京。若い頃は社会主義者と結構近くて、荒畑寒村なんかと友だちよね。その後大逆事件でも拘束されたりもしているもんね。若くして挿絵を発表しだしたけど、23歳で岸たまきと結婚。
まあ、そこから40代半ばぐらいまで、売れっ子だったからね。彦乃やお葉とも暮らすけど、北海道と沖縄をのぞいて、日本のあちらこちらに旅をしている。で、気に入った女性や芸者を見ると、ちょっとスケッチさせてと口説いて、ねんごろになったりする(笑)
伊香保や金沢や酒田なんかに、ゆかりの美術館があるね。
47歳から49歳にかけて、渡米しその後ヨーロッパに向かう。いろいろ野望はあったんでしょうけど、お金も続かなかったりして、日本に戻り50歳で結核で亡くなっちゃうのね。
晩年に「榛名山美術研究所構想」をぶちあげる。これ、なかなかいい構想でさ。日本と自然をもう一度デザインを通して考えるみたいなこと。夢二ってさ、なんか風貌はむくつけき男でなんでこんなのがもてるのって思っちゃったりするけど、やっぱ感性はすごく鋭いものがあるよな。 旅から旅に出掛けながら、いろんなこと考えてたんだろうな。


お隣、弥生美術館は挿絵界の重鎮、濱野彰親さん。あたしはあんまり馴染みがないや。
 大正生まれだけど、まだ現役。さっき入り口のソファーのところに座っておられたでしょ。いやぁ、矍鑠としておられた。サインもらえばよかったなぁ(笑)。
錚々たる作家の挿絵を書いておられたのね。 
そうそう。どちらかといえば、純文学よりは中間小説といわれる分野が多かったけど。
まあ、直木賞作家群というか。松本清張、山崎豊子、川上宗薫、森村誠一、山村美紗・・・・。ミステリーの表紙絵とか、新聞連載の挿絵とか、すごい売れっ子だった。この人の描く女の人がさ、ちょっと妖艶で。オジサン、銀座に行けばこんな女性がいるのかなぁなんて思っていたりしたことあったけどさ。

でも、資料を見ると、悩んだ時期もあって、三十代半ばに自費出版で『B5の絵』を刊行。これって思いっきり社会派でもあり。ベン・シャーンに傾倒されていたようだけど、そのモノクロの雰囲気があるよね。
で、この頃に占い師さんに見てもらって名前を改名した。そうすると仕事がじゃんじゃん入ってきたらしい。 現在は出版美術家連盟の会長さん。これって挿絵画家たちの連盟で戦後すぐに出来たけど、最初は岩田専太郎が代表だったかな。その連盟に最年少で入ったのが濱野さん。温厚で面倒見もよく若手にもみんなから慕われる人だったらしい。で、いまは代表を経て会長さんに。で、今でも挿絵だけじゃなくてアクリル画なんかに挑戦し続けているところがすごいなあ、と。
どこか上品よね。女性の際どい挿絵ももちろん多いけど、それが淫靡な「アブナ絵」にはいかないし、ポルノでもない。でも情念は伝わってくるなぁ。
最近だとねじめ正一さんの『荒地の恋』の挿画がよかったなぁ。戦後荒地派の鮎川信夫、田村隆一、そして北村太郎。50歳を過ぎて親友の妻と恋におちる詩人たちの伝記文学だけど、その挿絵がいいの。もっともっと純文学もやってほしいと思うな。

 



 


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