喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

せんたんミーティング ~愛媛県立三崎高等学校の高校生が地域でつくる高校生イベント~

2018-02-04 | 感動
 2月3日(土)から開かれていた愛媛県立三崎高等学校主催の
「せんたんミーティング」。

 最初のあいさつに
「知らないことだらけ、知りたいことだらけ、の私たち。
佐田岬半島の先端にあっちの高校や向こうの大学からも集まって、
出会い、語り、遊び、叫ぶ せんたんミーティングを開催します。
イベントをきっかけにそれぞれの地域が一層盛り上がりますように。」


 内容は、
「先端にであう、先端でかたる、先端であそぶ、先端でさけぶ」

 最終日の最後は、プログラム交流を通じた参加メンバーによる宣言。
雪のため途中で帰った参加者もいて、参観者も飛び入り参加。
 世代を超えて、立場を超えて自分の夢を語り合い、それに対する意見を言い、深まっていく。



 代表者が宣言。
 大学生のこんなまちに住みたい宣言。




 高校生の宣言。




 これに参加した高門伊方町長から講評と感想が語られた。


その言葉が感動的。
「歳をとってくると、町に対してこれもしてほしい、あれもしてほしいと、要望ばかりが多くなりがちです。
でもこのせんたんミーティングでは、自分はこうしたい、これができる等、地域のために何ができるかという
自分を生かす思いにつまっていました。
 若さっていいなと改めて感じました。
このような若者がいるまちの将来は明るいです。
ありがとうございました。」



 高門町長の話を聞きながら、ケネディー大統領の言葉と重なった。

「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが、国のために何をできるかを問うて欲しい。
Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country.

 これは1961年にジョン・F・ケネディが第35代アメリカ合衆国大統領に就任した際の演説で話された内容の一部。
 この当時は東西冷戦時代真っただ中。
この世の中には差別、貧困、暴力、様々な問題があり、人間の尊厳と自由を脅かす。

 それに立ち向かっていくのは国の制度だろうか。
そうではなく、国と国民が一つとなって立ち向かっていこうという
国民のアクションに対しての提言だった。


 またオバマ大統領の就任演説のひとこま

「政府に何ができ、何をしなければならないかということと同じく、最終的にこの国が頼みとするのは、アメリカ国民の信念と決意なのです。」
For as much as government can do and must do, it is ultimately the faith and determination of the American people upon which this nation relies.

 オバマ大統領もケネディ大統領の名言を参考として、
結局、国をつくっていくのは、国民が何ができるかということであると演説している。

 国をつくっている人が変わらなければ、国は変わらない。



 誰かに何かを期待するばかりはやめよう。
 地域・学校・職場において、地域・学校・職場が自分に何をしてくれるのかを考えるのではなく、
自分が地域・学校・職場に何ができるかのを考えよう。

 社会を動かす原動力になりたい。小さくてもいい。

 たった一人で社会を変えることはできない。
しかし、社会を変えるきっかけはたった一人から始まることもある。

 誰かが社会をよくしてくれることを望むのではなく、
自分が社会を変えるために何ができるか。
それをいつも自分に問うていきたい。

 今回のせんたんミーティングで、
若者たちと共にそんな大切な思いを共有することができた。



 みんなで後片付け。
お客さまではなく、仲間なのだ。



 先端が、未来を照らす。
先端が、時代を拓く。

 先端には、夢がある。


        岬人(はなんちゅう)


       

若者を育てる少年の日の言葉 「Boys be Ambitious.少年よ大志を抱け!」と「土を愛せよ」そして「実践」

2018-02-03 | 教育
 昨日は、愛媛県内の多くの中学校で少年式が行われた。
14歳といえば、大人への第一歩の年頃。
将来をみすえ、自分を高めていく。

 佐田岬の田舎で育った若者たちは、成人式ではもちろん、
少年式においてもかなり自覚を高める節目としている。

 
 伊方中学校の中庭に「土を愛せよ」という石碑が建てられている。
これは、伊方実践農学校の初代校長、小島喜作(きさく)の言葉。


 小島喜作とは、どんな人物なのだろう。
 
 その前に背景をみてみる。
今から142年前の1876年(明治9年)、クラーク博士はアメリカから北海道大学の前身である札幌農学校に教師としてやって来た。

 そして日本にいた8か月間で、教育にかける自らの使命を燃えるような情熱で成しとげた。
強い意思が未来を創ると考え、志をもって努力することの大切さを伝え続けた。



 ちょうど同じ1876年、小島喜作という青年は、北海道にある札幌農学校に入学するために、東京を旅立った。
日本の近代的農業を学ぶためだった。
 つまり小島喜作は、クラーク先生と出会っていたと考えられる。

 卒業後、喜作は日本各地で教師をしながら、農業や生き方について多くの若者たちを導いた。
きっとクラーク先生の「少年よ大志を抱け」の言葉を胸に秘めていたにちがいない。



 晩年、喜作は、伊方村の佐々木長治(ちょうじ)のうわさを耳にした。
 長治は、一生懸命に働き資産を作り、その財でふるさとに農学校をつくる準備をしていた。
落ち着いて農業を営み、郷土の発展に尽くす若者を育てようと考えていた。

 喜作は、長治のそんな考えに感動し、学校を作るための協力を申し出た。
そして1914年(大正3年)、伊方実践農学校がスタートし、喜作は初代校長として12年もの間若者を育てるために力を尽くした。



 クラーク博士の「少年よ大志を抱け」


小島喜作の「土を愛せよ」、


そして佐々木長治の「実践」というメッセージ。


 未来を拓く14歳の少年たちにはピッタリの言葉だ。


 日本一細長い佐田岬半島の伊方町立伊方中学校から
クラーク博士の姿を思い描く。
 
 どこで生まれ、どこで育っても、
自分の未来は、自分で拓いていける。

        岬人(はなんちゅう)

佐田岬の「少年の日」

2018-02-03 | 教育
 2月2日(金)。
本来なら4日の立春に行われるのだが、日曜日と重なり2日に実施された少年式。
 
 
「少年の日というのは、14歳になった少年少女を大人への階段を登り始めた大切な時期と考え、
自覚・立志・健康を3本の柱に、愛媛県が全国に先駆けて始めた行事」


 なぜ、この少年の日というものが誕生したのだろうか?

 それは、
 「昭和39年、日本児童文芸家協会が提唱した「14歳立春式」
に賛同した愛媛県社会福祉協議会会長、戒田敬之氏の提唱により、
県民運動の一環として「少年の日」の実施計画に着手。

 愛媛県社会福祉協議会が主唱し、愛媛県、愛媛県教育委員会、愛媛県警察本部が後援となり、
「少年の日」の実施要網を作成。

 自覚・立志・健康を目標とし、毎年「立春の日」を「少年の日」と決定。
 全郡市町村社会福祉協議会あてに実施要網を送付し、県民運動として発足。
第12回愛媛県社会福祉大会において、「少年の日」を実践申し合せとして決議し、
以降県下全中学校において少年の日に「少年式」が行なわれるようになった。」


 とのこと。

 何にでもあてはまることだが、
それにどんな意味をもたせるか、どんな物語をつくるかで輝きがちがってくる。

 伊方町の3つの中学校では全て少年式が行われ、
式の後、記念ウォークが実施された。

 伊方中学校は、ふるさとを知るということで
校区を歩いて回った。
全行程27.4㎞。



 途中、感動的なできごとがあった。
ちょうど半分を過ぎ、九町のまちを通りかかったところ、
何と地元の九町小学校の子どもたちが、沿道で横断幕を掲げ、応援してくれた。







 また、沿道の家の壁には、祝福と応援の張り紙。


 集団の歩きに遅れた生徒をやさしく見守り、共に歩む先生の姿。


 美しいふるさとの風景。




 こんなすばらしいふるさとで、子どもたちは育っていく。

 教育の原点はふるさとにある。


           岬人(はなんちゅう)