喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

金子みすず 「わたしと小鳥と鈴と」

2011-01-23 | ブログ
 昨日の障害をもった子どもたちの学習発表会。
改めて気づいたことがありました。

 金子みすずさんの詩を思いうかべました。

 金子 みすゞ(かねこ みすず、1903年(明治36年)4月11日 - 1930年(昭和5年)3月10日)は、
大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した童謡詩人。
山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)出身。

 代表的な詩に「わたしと小鳥と鈴と」があります。


わたしが両手を広げても
お空はちっとも飛べないが

飛べる小鳥はわたしのように
地べたを早くは走れない


わたしが体をゆすっても
きれいな音は出ないけれど

あの鳴る鈴はわたしのように
たくさんな歌は知らないよ


鈴と小鳥と それからわたし
みんな違って みんないい

 
 自分らしく生きることができる地域づくりを
めざしていきたいものです。

                   岬人
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八幡浜小中合同学習発表会

2011-01-22 | ブログ
今日は、特別支援学級の子どもたちの発表会がありました
情緒障害、知的障害がある子どもたち。
この子たちを分かろうとすることが大切です。

感じ方、考え方のものさしは、人それぞれたくさんあるんです。
自分のものさしだけで計ろうとすることはまちがいです。
それを改めて感じました。

私が関わっているのは、中学三年の男の子。
練習では、ほとんどミスなくこなしていました。
本番は、ホールいっぱいのお客さんを前に、ココロがゆれ動きわざとおちゃらけをしたり。
今までの一生懸命な練習が。
発表後、本人もそれをまずかったと振り返っていました。

発表会の最後に、中学三年生4人のあいさつがあります。
彼もこのあいさつを何回も練習してきました。
そして、その時がきました。
会場の目は、彼にくぎづけ。
シーンと静まりかえります。

 うつむきながら、小さな小さな声でしたが、とつとつと語りはじめました。
中学校を卒業したら、親元を離れ、進学し寮生活を考えていること。
そこでの生活は、自分のことは、自分でがんばらなくてはいけないと思っていること。
そして、就職したいということ。
一生懸命に語りました。

私の胸にこみあげてくるものがありました。
彼を知っている方やお母さんは、涙を流されていたと聞きました。

「みんなちがって、みんないい。」

改めてそう思えました。
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マッターホルン

2011-01-21 | ブログ
 背景を変更してみました。
 私は、岬人で海が大好き。
でも山も大好き。

 夏になると、よく信州の山々に出かけ山歩きすることが
とても好きです。

 マッターホルンという山。
神々しさを感じます。
 その麓にある湖。
気になって、調べてみました。
たぶん、リッフェル湖だと思います。

 マッターホルンで有名なスイス随一の山岳リゾート、ツェルマットの地区にある山上湖。
湖面に映る“逆さマッターホルン”の美しさで知られています。

 世界中から訪れる人が絶えません。
行ってみたいです。

 世界のいろいろな所を知り、
ふるさとの未来を描いていきたいと思っています。

             岬人(はなんちゅう)
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岬の大寒(だいかん)

2011-01-20 | ブログ
 今日1月20日は、大寒。
2月3日の節分まで。

 旧暦では、十二月十七日。
一月一日まで。

 1年のうち、もっとも寒さのきびしい季節。

 この期間を3つに分けると、
第一候: 蕗の薹(ふきのとう)がつぼみを開き始める。
第二候: 沢の水がびっしり凍るころ。
第三候: ニワトリが巣につき、卵を産み始める。

 これをのりきれば、春が近づいてきます。

「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ!」
 これは、マラソン金メダリストの高橋尚子さんが、
恩師からよく言われた言葉です。

 この寒い日は、春に向けて、
着実に力をたくわえる時期なのでしょう。

           岬人(はなんちゅう)
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43回目の誕生日

2011-01-19 | ブログ
 今日1月19日は、43回目の誕生日。

 大学生の頃からでしょうか。
親に感謝の言葉を言うようになりました。
 
 今の自分があるのは、自分の力ではなく、
まちがいなく周りの方々のおかげです。
 特に親は、生み育ててくれ、
今になっても何かと気にかけてくれています。
「おかげで自分も43歳を迎えることができました。ありがとう。」

 坂本竜馬は、33歳の若さで亡くなりました。
でもその人生で、多くの人たちに影響を与え、
多くの人たちの人生を手助けしました。
 日本が180度、変わるような歴史を創った一人でもあります。

 人のためになる、世の中のためになる。
 これは、たいへんなことですが、
せっかくいただいた命、自分のためだけでなく、
誰かのためになるような炎を燃やすのは、
幸せなことだと思います。
 
 自分にできることから。
行動していきたいと思っています。

                岬人(はなんちゅう)
 
 
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感動するお話 ~神様の足跡~  

2011-01-19 | ブログ
 17日の喜久家ブログは、はーと・ねっと・くらぶ代表田中さんのブログ
を紹介させてもらいました。
 題名は、「永遠の今」です。
この内容に対して、反響のメールがありました。

(社)ガールスカウト日本連盟事務局長の北野さんからです。
北野さんは、もと「国立大洲青年の家」所長で、私の上司でした。
たいへん温厚な方ですが、青少年の育成に熱い思いを持たれていました。
私たちの立てた企画に対して、細かなことを言うことなく、
「精一杯、やってみてください。」
といった気持ちで、私たちの実践を見守っていただきました。
そんな組織ですから、のびのびと仕事ができたのです。

 北野さんの思いを紹介します。

『感動する話をまたまた読ませていただきました。

 私にも最近感動する話を聞く機会がありました。
 昨暮れ、知りあいのご主人が亡くなられました。
 その告別式での神父様のお話でしたが、
ある人が砂浜を歩いているとき、後ろをふり返ると2人の足跡が続いていたそうです。
それは神様と自分の足跡。

 しかし、その人が苦しいとき、困ったとき、つらいときに同じように砂浜を歩いているとき、
後ろをふり返ると1人の足跡しかなかったそうです。
 
 その人は神様に
「何故、私がこんなに苦しみ、困り、つらいのに神様は私と一緒じゃないのですか。」
と聞いたそうです。
 
 神様は、
「あなたが苦しいとき、困ったとき、つらいとき、私はあなたを背負っていたのです。」
と神は言われた。

 人は苦しいとき、困ったとき、つらいときはつい自分はひとりと思いがちですが、そうではない。
と言うような話をされました。

 そうか、青少年にも聞かせたいジーンと感動する話だな~。と思いました。
うまく伝えることができませんが、同行二人の88ヶ寺にも同じような話はあるこ
とでしょうね。』

 とてもすてきなお話です。
どんなときでも、「私はひとりじゃない。」
勇気がわいてくるお話です。
 こんなふうに、さまざまな方がこのブログに書きこみをしていただき、
それがつながっていく。
 自分を外から見つめることができる瞬間でもあります。
少しずつ少しずつ自分のことを深く分かっていくことができます。

 みなさんに、感謝です。
ありがとうございました。

                     岬人(はなんちゅう)
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「岬の熱い夜」  はーと・ねっと・くらぶ徒然日記より

2011-01-18 | 喜久家の情報
 先日15日(土)に喜久家で行われた懇談会の様子を
はーと・ねっと・クラブ代表の田中さんが、
ブログで書いてくれていました。
 お知らせします。

題名は、「岬の熱い夜」。

『先週の土、日を利用して西宇和郡伊方町平磯というところに出かけました。 
佐田岬半島の端の方から国道を外れて、離合ままならぬような道をかれこれグネグネと走ったところから、
またグネグネ登った所に車を止めて、
人一人が歩ける幅の道のようなものを今度は降りて行き、
迷路のようにグルグルと歩いたところが第一の目的地です。 
 500ml×24の缶ビールを肩に担ぎ、宿泊セット、ビデオセットを忍ばせたカバンを持ち、
カメラバックをぶら下げてやってきたその宿の名は ・・ 「喜久家」

 喜久家プロジェクト http://blog.goo.ne.jp/kikuya2009 
としてその世界では、つとに有名な活動であるが、詳細はHPで。

 世界中からこの地にボランティアとしてやってくる若者たちの宿泊拠点として利用されている、
築100年の古民家である。 
 玄関をくぐると土間である。 
台所も土間である。 
トイレ・フロは外である。 
隙間風というか、どこからともなく空気が流れる。 
涼しいと取るか、寒いと取るか、自由である。 
土曜の夜からすっぽりと寒気団にハマった。 

 この喜久家は半島の中腹、海の見えるというか海風モロの絶好の場所。 
最高の場所に最高の時期に来たようです。 そして、 ・・・

 その日集まったお仲間の濃いーーーいことと言ったら ・・・

 喜久家代表の浅野農園社長の浅野洋海氏、
副代表の浅野長武氏(現役のヒューマニズム教師)、
らいぶ「あっ」実行委員長兼会社経営者の増田氏 http://goske.jp/live-a/index.htm、
田村菓子舗代表の田村氏 http://ameblo.jp/sizenndou/、
海外青年協力隊経験者の田村保健師さん、
ロス在住で正月帰省中のりえさん、
清家町議会議員さん、
喜久家で住み込みお手伝い中の橋本氏、 
という平磯、二名津地区だけでこんなすごかましい人たちが集まるんかいっ!   
っていうくらいの面子でした。 
 人口比率でいえばすごいんじゃないでしょうか?

 一人一人がまさに活動家なので例をあげるときりがないでしょうし、
また例のごとく私の頭は寝るとリセットされるためあまりよく覚えておりません。
 皆さまごめんなさい。。 
悪気はありません。 
起きてる間は多分一生懸命話しているし、聞いていると思うのですが・・   
寝るとだめなんです。  病気かも ・・

 でも確かに覚えているのは、外気の低さをモロともせずに、
心内気温は熱いまま午前4時に寝たような記憶はあります。 
その後まだやってたメンバーもいたようですが、無理です。限界です。 

 しかし、楽しかったなぁ。 
 初対面にかかわらずずっと本音で接する仲間というのはそうそういませんよねー。 
っていうか、相手から見れば私はえらい迷惑だったかも知れないのですが ・・  ごめんなさい。。  
その代わり、のぼさんと特にジョナサンが頑張ってくれたから大丈夫だったかも・・

 朝は橋本氏のお手製のおいしいお味噌汁で少し生き返り、
ここに来た目的の一つであるあいあいキャンプ候補地見学へと出発するのでありました。 
 一面銀世界の中を感動的に車は進みます。

 浅野代表は朝まで飲んでいたのにもかかわらず、
いやな顔一つせず我々を先導して廃校跡を案内してくれるのでありました。 
 いくつか見せていただきながら私の頭の中でいろんな情景が浮かんできましたので、
また後日確認に行き、練り上げた上で地元の方々も含めてお世話になろうと思いました。 

 あいキャンは元々県内各地とコラボレーションしながら、
障害者も含めた人間理解、およびそのことにより生まれ来る相互扶助の精神育成という目的があります。

 長年現在の中津地区にお世話になってきましたが、
きれいになった中津小学校では、我々の活動以外に
「中津ミュージックキャンプ」という町以外のミュージシャンも招待した合同音楽会も年に数回行われるようになりました。
 スポーツ合宿もあります。 
 地域の集まり、飲み会、宿泊大会も盛んです。     
 廃校が生き返ったのです。 

 そろそろ次の場所でまた初心に帰り活動する時が来たように思います。
慣れすぎず、依存しすぎず、適度の緊張感を失わず、また一から作る。 
そんな気持ちこそが、子供たちと関わる私たちが一番大切にしなければならないものではないでしょうか?
 その気持ちを   私は   「チャレンジ」   と呼びます。
 
 この地域の若者が素晴らしいのは、
厳しい自然の中でチャレンジし続ける両親の背中を見て育ったからこそに他ならないのかも知れないなあと思えるからこそ、
子どもとかかわる大人は自らにチャレンジを強いる責任があるようにも思えるのです。 
そのことを再確認出来た気がします。

 三崎の皆さま、その節はよろしくお願いいたします。  
取り急ぎこの場をお借りしまして御礼申し上げます。 
本当にありがとうございました。』

 何やら、新しい出会いにより、
新しい風が吹きそうな予感。

                 岬人(はなんちゅう)





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「永遠の今」 はーと・ねっと・クラブの徒然日記より

2011-01-17 | ブログ
 15日の土曜日は、私にとって
嵐のようにゆさぶられる日となりました。

「はーと・ねっと・くらぶ」のことを
実際に聞かせていただいて、もっと知りたいと思い、
代表の田中さんのブログをのぞいてみました。

 そんな中に、
あの夜熱く語られていた想いを感じるような内容のブログがありました。
事後承諾になりますが、紹介させていただきます。

 題名は、「永遠の今」

『何年か前に「はーと・ねっと・くらぶ」に所属していたメンバーから会社に電話がありました。 
するとそのメンバーはいきなり私に対してお詫びを言うのです。 
「自分が所属していたときにとても中途半端なことをしてしまったこと、
そのために私をはじめその時のメンバーやキャンパー保護者に対してもご迷惑をおかけしたこと、
そのことが自分は気になっていたくせに素直な気持ちを表現しなかったこと、
そのことをどうしても伝えたかったこと、
そして自分はこれからどういう人間であり続けるか」
の決意を正々堂々と述べられた。

 そのメンバーは泣いていた。 
しかもボロボロに泣いていた。 
それほど大きな勇気を必要としたのだろう。 
それほど大きな重荷になっていたのだろう。 
それほど心を占領していたのだろう。

 少し、私にもわかる。

 私はしばらくして答えた。
「ありがとう。 
今の気づきと行動は素晴らしいね。 
私が君の年の時では考えられない。 
それほど深く考え続けたということだなぁ、 
何も問題はないよ、 
ありがとう。」   

 そういうと受話器の向こうからとめどのない嗚咽が聞こえてきた。  
 長い間固まっていたものが、
怒涛と化した魂によって崩され流される様を見た気がした。

 これまでの時間はこのメンバーにとっては恐ろしく長い時間であったかも知れない。  
がしかし、それと同時に一生かかっても出来ないことを成し遂げた短い時間だったともいえる。  
それほど価値のあることだと素直に思えた。  
なぜなら私はまだこのメンバーがした行為を、多くの人に対してし切れていないから。

 かつてかかわった、そして今かかわっているいろんなメンバーがいろんなところで、いろんな思いの中で生きている。 
 過去という区切りはどこにもなく、
永遠の今と永遠に結びついている。

 そのことを思う。    
 いつだって気づける、 
いつだって言える、 
いつだって動ける、 
いつだって変われる、 
どんなにボロボロだろうが、 
どんなにみじめだろうが、 
どんなに孤独だろうが、   
生きてさえいれば ・・・ 』

 どこまでも人を信じ、その人の気づきを待とうという田中さん。
喜びもあれば、ずいぶんと孤独感を感じることも多いのではないでしょうか。

 あっつ、余計な解釈はいりませんね。
とにかくこの文章を読んで、熱くなりました。
 ぜひ、見てみてください。

 ブログ http://www.aobaland.com/aobatochi/

                        岬人

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はーと・ねっと・クラブ 「あいキャン」

2011-01-16 | ブログ
「はーと・ねっと・くらぶ」というココロのつながりを大切にした集まりがあります。

 その活動の中心が、「あいキャン
障がい者と健常者の子どもたちの交流キャンプです。
それをはーと・ねっと・くらぶのメンバーが企画、運営しています。

昨日から、代表の田中さん、そのメンバー のぼさん、ジョナサンが喜久家に来てくれました。
今年のキャンプ候補地探しのために。
そこで、こちらからも熱きメンバーに声をかけ、集まってくれました。
若者塾代表の増田さん。
田村菓子補の3代目よっくん。
青年海外協力隊員としてパラグアイで活動経験のある田村保健師さん。
一昨日から喜久家の掃除をしてくれているロサンゼルス在住のりえさん。
現在、喜久家で活動してくれている橋本さん。
私の友達の清家伊方町議会議員。
そして、喜久家代表の浅野洋海。
すごい、集まりです。

 夕方6時に始まった懇親会は、徐々に熱く盛り上がっていきました
 おりしもこの夜は、過去最大級の寒波が押し寄せていましたが、
それを溶かすかのごとく。
 夜中を過ぎた頃から、それぞれの能力に応じて、休んでいきます。
 
 私は、朝四時を過ぎた時に、リタイア。
その後もまだ三人が熱く語っていました。

 喜久家からの帰り道、外には雪が降り積もっていました
誰も踏んでいない真っ白な雪道。

「僕の前に道はない。僕の後に道はできる。」
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愛媛新聞 「伊予弁」コーナー

2011-01-15 | ブログ
 昨年12月から、毎月1回の半年間、
愛媛新聞の「伊予弁」という読者投稿コーナーに
掲載されることになっています。

 土曜日にということで、
今日15日に掲載されました。

 今月のテーマは、
「佐田岬の正月」
訂正前の原文を紹介します。

『昨年の大晦日、NHK紅白歌合戦で「トイレの神様」という歌が大きな感動をよんだ。
 トイレの神様を大切にすることが、
幸せにつながることを教えてくれたおばあちゃんとの歌。
 
 実家では、朝早くから神様を迎える準備が始まった。
70歳を越えた父は、注連縄(しめなわ)等の飾りつけ。
 私は、歳の神様やお荒神様(こうじんさま)、屋敷の神様等たくさんの神棚の掃除。
 母と妻は、一緒に神様へのお供え物やおせち料理づくり。
 子どもたちは3人で、家の中の掃除や風呂、そしてトイレをピーカピカに磨いた。
 
 田舎の正月は、よい一年を過ごし、新しい歳を迎えられることを神様に感謝するという考えが強い。
 夕方、家族みんなで歳飯をいただき、
父と私と息子は、神社とお寺・お墓へお参りに出かけた。
 ぼたん雪がどんどん降り積もり、辺り一面真っ白。
その白さが闇夜をうっすらと照らし出し、幻想的な光景だった。
キーンと張りつめた寒さと静寂の中のお参り。

 その時、里全体がフラッシュを浴びたような光に包まれた。
その後、遠くで聞こえる雷鳴。
「こんなお正月は初めてやのお。」
と父は言った。 

 1月15日は、小正月。
注連縄(しめなわ)などを海に焼きに行くお飾りはやしで、正月行事が一段落する。
 今年もいい一年になりそうだ。』

 写真は、正月を迎える準備をしていた大晦日の様子。
高いうっそうとした木々が見えますが、
神社の鎮守の森です。
 すでに雪が白く積もり始めていました。

 今日は、小正月。
午前中父は、平礒の海へ
門松やしめ飾り等を焼きに行ってくれます。
平礒では、「お飾りはやし」と言っていますが、
各地では、「どんど焼き」「とうど焼き」と言うところが多いようです。
 昔は、私たち子どもの役割でした。
その火で、お飾りもちも焼き、
海水につけて食べたものです。

 少しこげ味のついた正月もち。
「香りのある風景」、「味のある風景」とでも言えるでしょう。
とてもすばらしい伝統文化。
 守っていきたい1つです。

                   岬人(はなんちゅう)
 
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大和屋別荘に咲く美しき花

2011-01-14 | ブログ
 先日の道後散策ですてきなものを見つけました。

 写真は、道後を代表する老舗旅館「大和屋の別荘」
本館には、能舞台もあるすごい旅館。

 この看板を引き立てているのが、
黄色いかわいい花。

 これは、「つわぶきの花」です。

 実は、佐田岬 伊方町の町の花なのです。
寒い冬なのに、この時期に咲く
春を思わせる花。

 菜の花もきれいですが、
私にとって春を思わせる黄色い花とは、
「つわぶきの花」なのです。

 この茎は、とっても美味しいです。
煮てもよし、漬け物にもよし。

 大和屋旅館、すごいところに目をつけられています。

             岬人
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(株)リコーの社会貢献 BOPビジネス 2

2011-01-13 | ブログ
 リコーで社会貢献しているRYOさんからの報告の続きです。

『また、マンゴーの育成方法、手入れ方法は以下のようなものでした。
 村の人達は全員、普段はお米など他の農業を実施しているため、
マンゴーに関しては収穫時期と農薬散布以外、特に手入れはしていないようです。

≪苗木≫
苗木業者から買う
苗木業者は、親木を大量に用意し、これに接木して苗木に育てあげる

≪農薬≫
小さい虫が付くので、定期的に農薬を散布

≪果樹園≫
木木の間隔は5m程度?
割と大きな土地の中に、色々な種類のマンゴーの木がバラバラに植わっている。
(私から見ると全て同じ木に見えますが・・)

≪収穫≫
高い木の上まで、人が登って収穫する
大きな木だと、1つの木から約5000個取れる

≪販売≫
ブローカーに、1パイサ(=約1円)/個程度で売る。

 日本で買えばとても高いマンゴーが、こんなに安く売られているなんて!!
しかも大量に捨てられているなんて!!もったいない!驚きました。』

 どうかこのRYOさんからの報告を見て、
コメントできる方がおられたら、お願いします。

 人との出会い・つながりが、
さまざまな新たな知識との出会いとなり、
やる気を引きおこしてくれます。

 超田舎にいながら、
世界のことに思いをめぐらせる。
 とても大切なことだと思っています。

                     岬人

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(株)リコーの社会貢献 BOPビジネス 1

2011-01-13 | 喜久家の情報
 昨年2月に喜久家のパートナーである
NICE(ナイス)の20周年イベントに参加しました。
 
 喜久家にボランティアを橋わたししてくれているのは、NICEです。

「こんなにも熱い人たちが、これほど集まるのか!」
と思ったほど、衝撃を受けました。
 今までにNICEの活動に関わった人たちの集まりです。

 そんな中に、さらに輝きを放っていた人がいました。
RYOさんです。
 もの静かな雰囲気で、相手の立場を尊重しながらお話をされます。
でもココロには、しっかりとした考えを持っていて、
しかもすごい行動力がある人なのです。

 彼女は現在、日本を代表するリコーで働いています。
 企業の社会貢献は、とても重要になってきていますが、
RYOさんを通じてそれを知ることができましたので紹介します。

 
『喜久家さんは冬は収穫の時期でしょうか?
 私はその後、会社のインド農村プロジェクトに参加し、インドの農業を体験&観察
して参りました。
 農業のお話なので、是非浅野さんにもご報告したいと思い、久しぶりにメールさ
せていただきます。

 まず我が社のインド農村プロジェクト(勝手に命名)とは・・・
 BOP(Base of pyramid)と呼ばれる、所得が低い層を対象にしたビジネスの第一歩として、
インドの農村部をターゲットに、
現地の人と一緒に、その土地の役に立つビジネスアイディアを生んでいこう!というもの。

 このプロジェクトでは、現地の人と同じ目線に立って考えることを目的に、
社員数名が現地に1ヶ月間×数回滞在します。
 私は1st stayメンバーに選ばれ、
昨年の10月~11月の1ヶ月間、インド国内でもネパール国境に近い
ビハール州サウラス村というところに滞在して参りました。
 1/23~、2nd stayにも参加します。

 サウラス村の農作物は、主に 米、麦、オイルシード、香辛料、果物(マン
ゴー、ライチなど)
 特にサウラス村は、マンゴーが特産物で、村の人達はマンゴーのことをとても誇
りに思っていました。

 でも、収穫できるマンゴーの半分の量は、市場にでることもなく、捨てられるこ
とが多いそうです。
 残ったマンゴーは1年かけて自分たちでも食べていますが、それよりもっと多く
のマンゴーが取れているようです。

 その理由は以下のようなものでした。
・市場へのコネクションが少ない(売る先がない)
・加工方法(ドライマンゴー、漬物。ジュースなど)は知っているが、
大量に実施するほどの設備がない
・全てのマンゴーを処理するほどの人手を雇う、お金がない

 マンゴーは硬くて丈夫なので、輸送時の梱包などは楽なようですが、
農村部で市場とのコネクションがないことは大きな課題だそうです。
 浅野さんのところでも、売り切れず、食べきれず、捨ててしまう農作物ってある
のでしょうか?
 喜久家さんのみかんのジュースは本当に美味しくて感動しました。』

 初めて知ることばかり。
平礒にも多く当てはまることです。
 そして最も希望することを
リコーが社会貢献として取り組もうとしているわけです。

 RYOさんからは、もう少しくわしい報告がありますので、
次を見てください。

                     岬人

 
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道後山の手ヨーロピアンガーデンのみかん

2011-01-12 | ブログ
 キンカンにも驚きましたが、
さらに驚いたものが「みかん」でした。

「へー、みかんの木が植えられている!」

 何でもありなのでしょうか?
それとも、これも考えぬかれたものでしょうか?

 全国一のみかん王国愛媛、
しかも実家がみかん農家。

 私にとっては、みかんの木やそこになるみかんなど
見慣れていて、何のめずらしさもありません。
 でも、そうでない人にとっては、
きっとめずらしいものなのでしょう。

「みかんの国愛媛に来て、そこで木になったみかんを見た!」
これは、1つの感動ですね。
 
 こんなふうに考えると、
岬にはめずらしいものがいっぱいです。

                     岬人

 
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道後山の手ヨーロピアンガーデンの気になる木

2011-01-12 | ブログ
 道後山の手ガーデンプレイスをゆったりと歩きながら、
どんな木々や植物が植えられているか見ていました。

 写真は、キンカンの木。
へ~、こんな庭にキンカンか。

 キンカンなら、平礒の喜久家の庭にたくさんなっています。
もちろん無農薬なので、安全、安心、おいしい。

 そういえば、ヨーロッパの庭には、草花だけでなく、
実のなるものもよく植えられるとのこと。

 そして、この後もっとビックリしたものがありました。

                岬人
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