『平礒には、別に行かなくともよいのである。
家にいればのんびりと休日の一日を過ごせる。
平礒の作業に比べれば楽だし、何より自由な時間を満喫できる。
一方、平礒では、やるべき仕事が眼前にあり、
おもしろくないからといって、放り出すわけにはいかない。
子どもにすれば、まことに不自由きわまりないはずなのである。
ところが、子どもたちは「自由な意思」で、あえて「不自由な活動と時間」
を選んだ。
彼らは、おそらく「不自由に勝る価値」を平礒行きに直感したのではないか。
いや、「不自由だからこそ見つかる価値」
のあることに気づいていたのではないか。
だとすると、彼らはすでに、「自由」にひそむ空虚さのごときものに、
うすうす気づきはじめているのかもしれない。
言いかえれば「○○からの自由」という気ままさを求める域を超えて、
「○○への自由」という
「自らの自由意思」のおもしろさに気づきはじめたのかもしれない。
「やらされる活動」に縛られるという不自由とはちがって、
「やりたいと望んだ活動」のもたらす不自由には、
彼らにとっての未知の世界、ワクワク、ドキドキする世界があることに気がついているのだろう。
それこそ、チャレンジ精神の核心と言えないだろうか。
子チャレの活動は、子どもたち一人一人の生き方を大きく転換させる可能性を秘めている
ように思えるのである。 村上伸二 』
すごく奥の深い考え方です。
「自分の人生を自分で生きているか!」ということでしょうか。
誰かの人生を生きることはできません。
自分の人生を誰かに生きてもらうこともできません。
あたりまえで、はっきりしていることではありますが、
考えさせられることです。
「Life is good!」
私の大好きな言葉です。
岬人(はなんちゅう)
家にいればのんびりと休日の一日を過ごせる。
平礒の作業に比べれば楽だし、何より自由な時間を満喫できる。
一方、平礒では、やるべき仕事が眼前にあり、
おもしろくないからといって、放り出すわけにはいかない。
子どもにすれば、まことに不自由きわまりないはずなのである。
ところが、子どもたちは「自由な意思」で、あえて「不自由な活動と時間」
を選んだ。
彼らは、おそらく「不自由に勝る価値」を平礒行きに直感したのではないか。
いや、「不自由だからこそ見つかる価値」
のあることに気づいていたのではないか。
だとすると、彼らはすでに、「自由」にひそむ空虚さのごときものに、
うすうす気づきはじめているのかもしれない。
言いかえれば「○○からの自由」という気ままさを求める域を超えて、
「○○への自由」という
「自らの自由意思」のおもしろさに気づきはじめたのかもしれない。
「やらされる活動」に縛られるという不自由とはちがって、
「やりたいと望んだ活動」のもたらす不自由には、
彼らにとっての未知の世界、ワクワク、ドキドキする世界があることに気がついているのだろう。
それこそ、チャレンジ精神の核心と言えないだろうか。
子チャレの活動は、子どもたち一人一人の生き方を大きく転換させる可能性を秘めている
ように思えるのである。 村上伸二 』
すごく奥の深い考え方です。
「自分の人生を自分で生きているか!」ということでしょうか。
誰かの人生を生きることはできません。
自分の人生を誰かに生きてもらうこともできません。
あたりまえで、はっきりしていることではありますが、
考えさせられることです。
「Life is good!」
私の大好きな言葉です。
岬人(はなんちゅう)
伊方を知ってから、もっと愛媛を見るようになって、もっと愛媛が好きになっています
伊方町平礒を知って、自分の見方が変わるなんて、しかもふるさと愛媛が好きになるなんて
うれしいですね。
20世紀は、都市の時代。でもそれが、ずいぶんといきづまりを見せ始めています。
21世紀は、田舎の時代へと変わっていくのかもしれません。