佐田岬の先端あたりで最も高い伽藍山。
標高414m。
ここに、体験農場がある。有効活用したいものだ。
四国最西端の三崎中学校は3年前、東日本大震災があった2011年からここで収穫されたサツマイモを
被災地宮城県、気仙沼市立大谷中学校へ送っている。
4年目になる今年は、自分たちで苗植えから、草取りなどの管理をし、収穫までをしようということになった。
より思いのつまった交流のサツマイモとなる。
5月1日、九州まで見わたすことができるほどの天気。
張られた黒いマルチシートに穴を開け、苗を埋めこみ、苗が立つように土をかぶせ押さえる。
そこにジョーロで水をたっぷりかける。
生命力が強いサツマイモはこれでみごとに実る。
佐田岬半島では、今のように柑橘が栽培される前は、耕して天に至ると言われるほどのサツマイモや麦の栽培が行われていた。
米は育たず、食料の少ない時代の命の作物だった。
たくましいサツマイモの生命力が、被災地の人たちと重なる。
このサツマイモが被災地との交流の架け橋となる。
岬人(はなんちゅう)
標高414m。
ここに、体験農場がある。有効活用したいものだ。
四国最西端の三崎中学校は3年前、東日本大震災があった2011年からここで収穫されたサツマイモを
被災地宮城県、気仙沼市立大谷中学校へ送っている。
4年目になる今年は、自分たちで苗植えから、草取りなどの管理をし、収穫までをしようということになった。
より思いのつまった交流のサツマイモとなる。
5月1日、九州まで見わたすことができるほどの天気。
張られた黒いマルチシートに穴を開け、苗を埋めこみ、苗が立つように土をかぶせ押さえる。
そこにジョーロで水をたっぷりかける。
生命力が強いサツマイモはこれでみごとに実る。
佐田岬半島では、今のように柑橘が栽培される前は、耕して天に至ると言われるほどのサツマイモや麦の栽培が行われていた。
米は育たず、食料の少ない時代の命の作物だった。
たくましいサツマイモの生命力が、被災地の人たちと重なる。
このサツマイモが被災地との交流の架け橋となる。
岬人(はなんちゅう)