that blog-ish thingy

ブログ的なアレです。

パブロンの犬

2009年10月02日 | なんとなくアレなやつ
先日、風邪ひいたっぽいというようなことを書いた。
どうやら風邪はひいていなかった模様。
もしくはひいていたが、パブロンで治したか。

もしパブロンで治っていたのだとしたら、流石のパブロンとしか言いようがない。
豚インフルエンザ(と思われるアレ)でさえ、完治に通常7日かかるところが3日で治ってしまったのだから。

そういうこともあって、今はとにかくパブロンを飲めば治ると信じている。

パブロンの犬。
なんつって。



風邪はともかくとして、そういえば最近、腹が痛い。
食中毒だとか、そういう話じゃないのだけれども、何だか痛い。
鳩尾のちょい上ぐらいがツボで、指の腹あたりで押すとすごく気持ち良い。

腹痛の原因として思い当たる節があるとすれば、エスプレッソを飲み過ぎていることぐらいか。

あとは心当たりがあるとすればタバコのせいか。
何だかタバコを吸い過ぎた次の日は腹が痛いような気がしないでもない。

タバコ、やめるか。
いや、やめない。
タバコをやめるほど意志は弱くない。

そういえば「体に悪いからタバコやめれば」と言われることはあるのだけれども、それは動機として弱い、残念ながら。
理由もなくタバコをやめられるほど意志は強くない。

というわけで、やめるのであれば健康面以外での理由が必要。
「やめたら小林麻耶紹介してもらえる」だとか「やめたらタバコ1カートン買ってもらえる」だとか。

完全に他力本願だけど。



腹痛で思い出したのだけれども、そういえば神戸にいた頃に食中毒になった。
多分、古くなった水を飲んだだとかそんな理由。

で、食中毒。
あれは本当にヒドイ。
何を食べてもアレだし、何を飲んでもアレ。
外出すら出来ないし、寝れば治るというレベルの話でも無い。

というわけで、致し方なく医者に行った。
医者に行って何をされたかは、諸事情によりここでは書けないのだけれども、敢えて何かを言うとすれば精神的ダメージがすさまじかった。
もう、食中毒なんてなるもんじゃない、ホントに。



そういうユニークな経験をしてからは、水は飲む前にまず匂いを嗅ぐことにした。
アウト・セーフの判断基準は「小学校のときに使っていた雑巾っぽい匂いがするかどうか」。

と、こう書いてて「そもそも古い水なんか飲むなよ」とか思ったりもするのだけれども、昔はあんまり気にせずに果敢にチャレンジしていたんだよな。
「この水、飲んだらアウトっぽいけど実際はどうなるんだろ」という好奇心が伴ったアレで飲んでみたら意外と大丈夫で、そこから「大丈夫、大丈夫」がひたすら続いて、どっかのタイミングで食中毒。

しかも、食中毒になってからも暫くは「運が悪かったから食中毒になっただけであって、基本的には飲める」という考えを相変わらず持っていて、そういう意味で匂いを嗅ぐようになった今は随分と大人になったなと思ったり思わなかったり。

子供か大人の話じゃなくて、単なる常識があるのかないのか、まともなのかバカなのか、という話なのだけれども、まぁ、いいや。



「子供か大人か」という話で思い出したのだけれども、日経ビジネスオンラインで連載している人生の諸問題というコラムがある。
これが、あり得ないぐらい面白い。

その連載の一つで「「セカンドライフ」と「藤沢周平」と『こころ』と」がある。

で、この「藤沢周平」の部分でなるほど、と思ったこと。
以下、抜粋。

岡 そうか。あのね、坂本龍馬みたくなれるのかなと思っている時に、司馬遼太郎の小説というのは、ものすごくいいわけだ。中学とか高校の時ね。

 そのころまでは、胸をわくわくさせながら読むけど、ある時、坂の上に雲なんかないじゃないかと分かってくる。俺は勝海舟でも坂本龍馬でもないじゃないか、全然。とかになってきて、そして時代小説なんて意味ないなんて思って、しばらく離れるんだよ。で、長じて藤沢周平を読む。すると、あれは「プロジェクトX」なわけですよ、武士のね。

小田嶋 ヒーローじゃなくて無名の。

岡 ヒーローじゃない無名の武士が、ある誇りのために生きて死ぬ、みたいな話だろう。すると、そうなんだよ、といきなり傾斜しちゃうわけ。だって「プロジェクトX」もそうでしょう。あれで役員になりました、というのはほとんどいなくて、そのまま定年を迎えました、と。だけどいい仕事をしたんですよ、ということじゃないですか。

小田嶋 司馬遼太郎はそればっかりじゃないけど、偉大さとか非凡さとか、そういう方向の人たちを描いているよね、どっちかというと。

岡 そうそう。偉大で非凡だった。なのに染みるような笑顔だった、みたいな。そういうことで参っちゃうわけでしょう、読む方は。藤沢周平はそうじゃないんだ。この人たちは無名だったんだ、生涯、という。

小田嶋 無名で平凡であるけれども、小さな意地を持っていた、みたいなところだよね。

岡 だから40歳を過ぎたら藤沢周平の方が来るわけですよ、これが。

―― しかし、結構、じいさまになるまで司馬遼太郎のファンというのは存在しますよね。

岡 ばかでしょう、それは。だって坂の上に雲が、お前、あったのかよ、あなたの生涯で、という。

小田嶋 一種、『俺の空』(注・本宮ひろ志の漫画)だからね。

岡 『俺の空』ですよ。

小田嶋 知的な戸川万吉ぐらい。そして必ず銀次も出てくるんだよ(注・いずれも本宮ひろ志作『男一匹ガキ大将』の登場人物)。

岡 藤沢周平はそうしたら、『人間交差点』とか、あっちに行ってるわけなんだよ。

―― 市井の方なんですね。

岡 だけど深いな、と(笑)。

小田嶋 司馬遼太郎が本当にそう思っていたかどうかは分からないけれども、人間には非凡な人間と平凡な人間がいて、平凡な人間のことは俺はどうでもいいんだ、という感じの描かれ方になっちゃっていたりしているね、多少は。

岡 多少はというか、メジャーな人にこだわるよ、徹底的に。

小田嶋 生まれた時からこの人はものが違うんだ、みたいな話。その人の本当を私は知っているんだ、という書き方だよね。

岡 だって一番平凡な人で大村益次郎あたりでしょう、司馬遼太郎が書いた中では。


もう少し歳をとったら、藤沢周平の哀愁感みたいなものに浸れるようになるのだろうか。
ただ、司馬遼太郎がそこそこ好きな自分は、まだまだ子供なんだなっていうのは、まぁ、そう言われてみればそうかもしれないなと思ったり思わなかったり。

ただ、例によってしつこいのだけれども、じゃあこの二人が池波正太郎をどう思っているのかは気になる。
「あれは時代小説という名のロマンポルノだ」とか言われそうだけれども。



以上です。
もう今日の話、キレイにオチ付けられません。
いつものことですが。

なので無責任ながらも、男らしく潔く中途半端に終わらせたいと思います。
アレを色々とよろしくお願いします。

コメント
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