西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

弦楽四重奏曲私見(続き2)

2009-02-03 11:22:30 | ベートーヴェン
第11番「セリオーソ」の作曲から実に14年後、ベートーヴェンは三度(みたび)弦楽四重奏曲の世界へと戻ってきた。この時期は言うまでもなく、第3期(後期)に当たる。しかもピアノ・ソナタの5曲に及ぶシリーズでこの分野に終止符を打ち、また「第9」で、合唱を終楽章に持つこれまでには考えられなかった長大な交響曲を築き上げた後のことである。結論を言うならば、作曲者の芸術の真髄がここにこそ見られる、音楽芸術史上未踏の精神世界が第12番以降の5曲のうちに築かれるのである。そう私は考えている。
それらを記すと、
第12番 変ホ長調
第13番 変ロ長調
第14番 嬰へ短調
第15番 イ短調
第16番 ヘ長調
それに、第13番の新しい終楽章である。
1822年11月にペテルブルクの貴族ガリツィン侯から3曲の弦楽四重奏曲の依頼を受けた。しかし第12番の着想は、その年の6月であり、弦楽四重奏曲作曲への回帰は自身の中で起こったことであることに注意すべきである。第12・15・13の3曲がそれに当たり、作曲順に「ガリツィン第1」「ガリツィン第2」「ガリツィン第3」と呼ばれている。出版の関係で、番号は作曲順ではない。ともあれ、次の4曲目の作品、第14番が全7楽章という自由な発想のもとで書かれた。最後となる5曲目、第16番は常の4楽章形式に戻り、また長さもやや短いものとなっている。その後、周辺から、第13番の新しい終楽章を求められていたベートーヴェンは、それに応じ、今日「大フーガ」と独立して呼ばれる元の難解な作品のほぼ半分程度の長さの作品を書いた。これが事実上、最後の完成作品ということになった。私は、どれも素晴らしいものであるが、この中でもやはり第14番がその頂点をなしているように思う。どこがどう素晴らしいのか、言葉で表すことはできるとは思っていないし、また私がそれを感得できたなどとは到底言えない。この作品に対峙する時、いつか共感を得られる日が来るだろうか、それも分らない。ただいまは聳え立つ優れた芸術作品という山の麓に立ってそれを見上げるだけである。以前も記したが、ベートーヴェンは、今では我々はこれはベートーヴェンの傑作であるなどといくつかの、いや数多くの作品に対し言辞を弄しているが、ベートーヴェンは決してそれらが自分が生涯において書きたい作品とは思っていないと言っていた。ある時、やっと書きたい音楽が書けた、というような発言をしたことをどこかの伝記で読んだように思う。それはこれら後期の弦楽四重奏曲群を書いた後のことではないかと密かに考えている。ベートーヴェン自身第13番を「お気に入りの四重奏」と呼び、この中の第五楽章「カヴァティーナ」については、この楽章を思い起こすたびに涙を催すのような言葉を述べている(ライナーノートなどで見かけていたが、今はその文が見当たらない)など、これら後期の作品に込めた作曲者の意図を窺うヒントになる言葉を残してくれている。残念ながら、第14番に関してはその解釈のヒントを作曲者自身の言葉から見つけていない。その代わり足るべきか否か、判断付きかねるが、かのオペラ史上の総合芸術を成し遂げたワーグナーは、この作品を「もっとも優れた作品、あの偉大な嬰ハ短調四重奏曲」と呼び、解釈を述べている。「音楽の贈りもの」(シュプリンゴールム著 高辻知義訳)(白水社)でその一文を見かけたのだが、かれはこれを「ベートーヴェンの生活の一日の光景」と解釈する。「冒頭の比較的長いアダージョの部分はかつて音楽として表現されたもののなかでもっとも憂鬱なものであるが、これをわたしは一日の朝の目覚めと名づけたい。」と書いている。生活の一日の光景、朝の目覚め、などという言葉は全く予期しない言葉であった。中心となる第4楽章については、「よみがえった自分の魔法の力を用いて、彼はいま一つの優雅な姿を封じとめようとする。心の奥底の純潔の幸福な証拠であり、つねに新しく、未曾有の変化を示すこの姿に永遠の光をあて屈折させて、そのさまにたえず見惚れていようというのである。」最後の第7楽章「アレグロ・フィナーレ」についても「これこそ現実世界そのものの踊りである。」と述べ、「そうして夜が彼をさし招き、彼の一日は完結する。」とこの曲の解釈を締めくくっている。なんとも不思議な解釈と感じてしまう。このワーグナーの解釈に対して、バッハ研究でも著名な神学者アルベルト・シュヴァイツァー博士は、「これよりも大胆なものは存在しない」とワーグナーの解釈について語り、「ほかのいくたの音楽解説のように笑いものにしてかまわない注釈といっしょにしてはならない。ここではつまり、「詩人が語っている」のである。」と擁護している。このワーグナーの文はこれからも折に触れ読んでみたいと思っている。

1月17日 15番 ブダペスト弦楽四重奏団(LP)
1月31日 13番 アルバン・ベルク弦楽四重奏団(CD) *作曲当初の「大フーガ」を終楽章に持つ形で。