西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ヘルベルト・フォン・カラヤン

2007-04-05 10:09:49 | 音楽一般
今日は、20世紀の生んだ偉大な指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンの生誕日です(1908年)。
カラヤンの特徴は何でしょうか。私は、過去の偉大な作曲家の音楽という芸術遺産を正しく現代に甦らせ、それを後世に残すことだと思っています。ですから、カラヤンのそれら作曲家・作品を見る目は大変厳しいものとなるでしょう。カラヤンは、よく演奏を繋ぎ合わせて録音していたと言われていました。ライブ録音は少ない、と。確かにこれは音楽を捉える自然なあり方ではないでしょう。しかし、カラヤンの考えを持ってするならば、これは許されてよかったことだと私は理解しています。
カラヤンは、ベートーベンの全集を何度となく録音しましたが、私は70年代に行った録音遺産がとても気に入っています。ここには肩の力を抜き、音楽そのものに全霊を傾ける指揮者本来のあり方があるように思います。私は、この60歳代にカラヤンは先のことを意識して後世に残すべく準備をしていたのではないかと思っています。「パルジファル」「トゥーランドット」「魔笛」など作曲者の最後を飾るオペラ群もこのころ数多く録音しました。どうしても残しておきたかったのでしょう。シュトラウスのワルツなどもLP3枚録音しました。この中の「美しく青きドナウ」、これは本当に凄いと思いました。ともすれば安っぽくなりがちなこの種の演奏を高貴なままとどめている、私はそんな風に感じます。ブラームスの全集、チャイコフスキーの全集も出しています。この中で、ブルックナーの全集を出してくれたことは、ブルックナーの愛好家の私には大変嬉しいことです。
 カラヤンが、1989年7月に亡くなったのはついこの間のようにも思えますし、もうずいぶん前のような感じもし、とても不思議です。そのカラヤンが、インタビューに答え、「私にはするべき仕事がまだある。神はもう一度私をこの地上に生み出す勤めがある。」言葉はよく覚えていませんが、また伝え方によってはずいぶん傲慢に聞こえもするので、正しくはどうだったのかと思ったりしますが、内容はそのようなことだと思います、このような言葉を語っていたのを覚えています。私には、まだそのやり残した仕事をぜひしてほしいと思うこともありますが、これは実現するのか。またカラヤンはこのような「輪廻転生」ともいうべき東洋の思想をどれほど知る立場にあったかよくわかりませんが、このような言葉が出ると言うことはそれなりに自分の中にそのような考えが湧くこともあったのでしょう。
 カラヤンは、大の日本びいきでした。それがどこから来るのか定かではありませんが、我々にとっては嬉しいことでした。私は、何度目の来日になるのか、1度だけ実演に接しました。プログラムは、ブルックナーの「テ・デウム」とモーツァルトの「レクイエム」。アンコールはなしです。
 いろんな演奏を聴いてみたい、などと思い、同じ曲を様々な演奏家で聴いても最後は、やはりカラヤンでなければ、と戻ることがあります。録音と言う形で、数多くの演奏を残してくれたことにただ感謝するのみです。

画像は、70年代の来日時に東京のある楽器店で催されたサイン会で、新発売されたドボルザーク「新世界より」のジャケットに目の前でサインをしてもらったものです。両脇に娘さん2人を連れて、会の始まる前に、サインペンの筆先とは反対側を娘の鼻先につけて書く仕草をしていたのを思い出します。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿