西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

バッハ「農民カンタータ」

2007-08-30 22:32:19 | バロック
今日は、バッハの「農民カンタータ」が初演された日です(1742年)。
バッハは、200曲に及ぶ教会カンタータを書いていますが、世俗カンタータも少なからぬ数書いています。その多くは失われてしまったようですが、20曲ほどを私たちは現在楽しむことができます。
そのうちの一つ、「農民カンタータ」は、1742年のこの日、ライプチヒ近くのクラインチョハー村では、新しい領主を迎えて夏祭りが催されたが、その時に演奏されたものだ。Mer hahn en neue Oberkeet(おいらは新しい領主様をいただいた)と始まるこの曲は、民謡を取り入れた楽しい曲で、当時の農民の姿が伝わってくるようだ。上に記したドイツ語は、スペルミスではありません。北部ザクセン方言が使われているのです。普段バッハについて私たちが抱くものとは違うバッハ像が伝わってくるようです。
バッハの世俗カンタータで、何と言っても一番楽しませてくれるのは、「コーヒー・カンタータ」だろう。この中で、
「ああ、コーヒーは何と美味しいのでしょう、
 1000回のキスよりも甘く、
 マスカットワインよりもマイルド、
 コーヒー、コーヒー、私にはこれがないと駄目なの」
とコーヒー狂の娘リースヒェンにバッハは歌わせている。コーヒーを娘にやめさせようと、父親は、「やめないなら、結婚させないぞ」と脅すが、娘は「それならやめるけど、結婚したら、夫を説き伏せ、コーヒーを飲ませてもらうわ」と娘も負けない。バッハの大らかさを見るようである。
ウィーンは、ウィーンで多いのは銅像とカフェで、ウィーンから銅像を取ると、ウィーンの人口は半分になる、などと冗談で言われているということだが、それほどまでに多いコーヒー店の第1号は、1683年に産声を上げた。これは、ウィーンを攻めその後退却したトルコ軍が残した豆の入った袋、その豆がなんであるかを知っていたポーランド人が開いたということである。これがヨーロッパにコーヒーが伝わった最初などと言われることがあるが、そうではなく、すでに1650年イギリスのオックスフォードにコーヒーハウスが開かれたということだ。そしてオランダ、フランスでも飲まれるようになった。ドイツ語圏で第1号店の栄誉を担うのが、上に述べたウィーンのカフェということである。その後ドイツ各地に広がり、バッハの地元ライプチヒの第1号店は1685年、つまりバッハの生まれた年にできたということであった。バッハの遺産目録には、楽器や蔵書の他に銀や真鍮でできたコーヒーポットやコーヒー皿があげられていたということだ。バッハもかなりのコーヒー通だったのだろう。

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