西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

2007-07-28 08:59:46 | バロック
今日は、ドイツの作曲家ヨハン・ゼバスティアン・バッハの亡くなった日です(1750年)。
大バッハについては、ベートーベンの言葉「バッハは、小川(バッハ)ではなく、大海(メーァ)である」がよく音楽史における彼の評価を表しているように思います。しかしそのバッハが亡くなる前年には、バッハ死去の場合の後任のトマス・カントル職を決める試験が行われたということだ。というのは、バッハは晩年そこひを患い、視力を失いかけていてほとんど仕事が出来ない状態だったからである。(小さい時に暗い所で、楽譜を長時間見ていたのが原因とされている。)それにしてもまだ健在の時に後任を決めようとするとは!翌年になり、2度イギリスの眼科医により手術を受けるが、効果はなかった。バッハは、この手術で体力を消耗してしまったということだ。この眼科医は後にヘンデルの手術も行ったがこの時も失敗している。音楽史上に名を残す音楽家の手術に2度も失敗したのである。
バッハ晩年の大作「音楽の捧げ物」と「フーガの技法」は高貴な作品である。この2作で十分に音楽史に名を残すと言っても良いのでは。後者は残念ながら、未完に終わった。失明のために筆を進ませることができなかったのである。楽譜の最後に、「このフーガで、BACHの名が対位主題に持ち込まれたところで、作曲者は死去した」と次男のエマヌエルが書いている。この作品は楽器が指定されていないことでも知られている。今では、チェンバロ、オルガン、室内楽、弦楽四重奏などで演奏され、我々は聴くことができるがバッハの意図したのはどれだったのだろう。
バッハは、死後忘れられ、1829年のメンデルスゾーンによる「マタイ受難曲」の復活上演を持ってバッハ復活の年と言われている。それはその通りであるが、実はモーツァルトにもベートーベンにもバッハに刺激を受けた作品があることを忘れてはならない。モーツァルトは、平均律から5曲を弦楽四重奏曲に編曲している。ベートーベンも同じく平均律中の作品を弦楽五重奏曲に編曲している。しかしメンデルスゾーンによるバッハ復活は、その後の音楽家たちに大きな刺激になったことは事実である。シューマン、ショパン、ブラームス、マーラー、20世紀音楽の旗手シェーンベルクにさえも、その影響は大きいことがわかる。そのような意味で、ベートーベンが言った「大海」の意味は全くその通りなのであった。

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